断交中のサウジアラビアとイランは3月10日、中国の仲介により国交正常化で合意した。両国はペルシャ湾の産油大国。宗教的にもイスラム教スンニ、シーア両派の盟主であり、地域の覇権を争うライバルだ。7年ぶりの両国の関係修復は「イラン包囲網」構築を目指してきた米国とイスラエルとって深刻な打撃となった。中東の政治地図を塗り変える和解の背景と影響を探った。

秘密交渉で正常化の土台作り

イランの革命輸出を恐れていたサウジは2016年、反体制のシーア派指導者を処刑した。激怒したテヘラン市民がサウジ大使館に乱入、サウジはイランと断交した。

これにサウジの影響力が強いバーレーンとスーダンが追随、アラブ首長国連邦(UAE)は外交関係を大使級から代理大使級に格下げした。両国の不和はペルシャ湾での緊張を高め、中東全体に不安定な空気が漂った。

サウジは近年、莫大な石油収入とメッカなどイスラムの「2大聖地の守護者」の地位を背景に、主に水面下で中東全域に影響力を及ぼしてきた。だがムハンマド皇太子が同国を牛耳るようになって以降は積極的な外交に転じ、イエメン戦争への軍事介入、イランとの断交、反体制派ジャーナリストのカショギ氏暗殺、カタール封じ込め、トルコとの対決など中東政治を揺り動かしてきた。

しかしイエメン戦争では、サウジがイエメンを掌握したシーア派組織フーシ派への空爆を激化させる一方で、フーシ派から首都リヤドまでミサイルやドローン(無人機)攻撃を受けるようになった。フーシ派はイランが支援しており、事実上はサウジとイランによる「代理戦争」だった。

19年にはサウジの石油施設がドローン攻撃を受け、石油生産の半分が停止に追い込まれた。その後、イラン革命防衛隊司令官の暗殺をめぐって米国とイランの緊張が高まり、イランが米軍駐留のイラク基地に弾道ミサイルを撃ち込み、全面戦争の危機にまで発展した。サウジはイランの軍事的脅威を再認識せざるを得なかった。

こうした事態にムハンマド皇太子はイランとの対決を回避し、「厄介な相手と共存する」方向に転換、2年前からバグダッドでサウジ、イランの情報機関トップによる秘密協議を開始、正常化への糸口を探ってきた。皇太子はイスラエルや米国主導の「イラン包囲網」から距離を置き始め、国連によるイエメン内戦の和平協議に加わり、昨年4月からの停戦に応じた。