【非公開調整中】宮澤喜一 アーカイブス


(内閣広報室より公表された肖像)

このコーナーは、岸田文雄首相と同じ自民党の名門派閥「宏池会」から、1991~93年に首相を務めた宮沢喜一氏の記念館開設を求める声が福山市で上がっていることを受けて、私自身、1999年(平成11年)秘書、2000年(平成12年)公設第2秘書としてお仕えした経緯から、私なりにも情報を発信していこうと考えました。

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2022(令和4) 年 6 月

福山市議会議員 岡 崎  正 淳

※掲載した情報は、ウィキペディア、NHKアーカイブス、TBS NEWS DIG Powered by JNN、ANNnewsCH、などからの引用及びリンク掲載をおこなっています。

アーカイブス-目次

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▼【1】 【出生から~政界入り~総理大臣就任~政界引退後】
▼【2】 【エピソード】
▼【3】 【政治スタンス】
▼【4】 【略歴】
▼【5】 【家族】
▼【6】 【主な著書】
▼【7】 【記録動画/アーカイブス】
▼【8】 【準備中】
▼【9】 【準備中】
▼【10】 【準備中】


【1】【出生から~政界入り~総理大臣就任~政界引退後】

【宮澤喜一】
(みやざわ きいち、1919年〈大正8年〉10月8日 – 2007年〈平成19年〉6月28日)は、日本の大蔵官僚、政治家。
参議院議員(2期)、経済企画庁長官(第12・13・17・18・29代)、衆議院議員(12期)、通商産業大臣(第32代)、外務大臣(第98代)、内閣官房長官(第44代)、副総理、大蔵大臣(第88・89代)、内閣総理大臣(第78代)、郵政大臣(第56代)、農林水産大臣(第18代)、大蔵大臣(第105・106・107代)、財務大臣(初代)、自由民主党総務会長、自由民主党総裁(第15代)などを歴任した。55年体制最後の内閣総理大臣。愛称はキー坊。

【出生】
宮澤裕・こと夫妻の長男として東京に生まれた。本籍地は広島県福山市。母・ことは司法大臣、鉄道大臣等を歴任した小川平吉の二女。関東大震災後、母方の祖父小川平吉の別荘である平塚の「花水庵」で過ごす。父の裕は当時山下汽船に勤務していたが、すでに政界を志し、広島県から国会へ進出しようと準備を進めていた。

【大蔵官僚そして政界入り】
1942年(昭和17年)1月、大蔵省に入省した。沼津税務署長などを経て、終戦時には本省で戦争保険を担当していた。1945年(昭和20年)8月、東久邇宮内閣が発足すると、大平正芳と共に津島壽一蔵相秘書官となる。1949年(昭和24年)には池田勇人蔵相秘書官として、講和条約の準備交渉に携わっていた。1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコ講和会議では全権随員として参加した。
池田の強い勧めで翌1953年(昭和28年)、第3回参議院議員通常選挙に広島県選挙区から出馬し当選した。
党内では池田派(宏池会)に所属し、1973年には派閥横断グループ「平河会」を結成し座長となる。早くから総裁候補と目され、ポスト田中角栄(1974年)で総裁に推す声が上がった

【総理大臣就任】
1991年(平成3年)総裁選挙で勝利、72歳にして内閣総理大臣に就任した。参議院議員経験者としては初めての内閣総理大臣であった。また現在、官僚出身の最後の総理である。

【政界引退後】
2000年の総選挙で自らの福山の地盤を甥の宮澤洋一に譲り引退を決断した。参院在職12年3ヶ月、衆院在職36年9ヶ月で国会議員在職合計は49年であった。

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【2】【エピソード】

【池田勇人との関わり】
宮澤喜一の前半生は池田勇人抜きに語ることはできない。広島県出身の父・裕は同郷で政友会の重要な政治家望月圭介の秘書官を務めたことがあり、また裕の義父(喜一の祖父)小川平吉も望月と親交があった。一方、池田家は広島における望月の有力な支援者であり、望月を介する形で池田家と宮澤家は縁を深め、裕が池田勇人の最初の結婚の世話をするなど、単に郷里の友人以上の関係であった。

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【3】【政治スタンス】

【ハト派的な政治家】
ハト派的な政治家とされることが多く、自衛隊の海外での武力行使は自衛の場合に限るべきという見解を基本的には維持していた。それは戦争を知る世代としての思いが背景にある。しかし一貫した親米派・日米同盟論者でもある。

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【4】【略歴】

【略歴】
1919年(大正8年)10月:東京市に生まれる 本籍地は広島県福山市金江町金見
1928年(昭和3年):東京高等師範学校附属小学校入学
1932年(昭和7年):旧制武蔵高等学校尋常科入学(入試の成績は81人中27番)
1936年(昭和11年):旧制武蔵高等学校高等科文科甲類(文系英語クラス)入学
1939年(昭和14年):旧制武蔵高等学校高等科文科首席卒業、東京帝国大学法学部政治学科入学
1941年(昭和16年)12月:東京帝国大学法学部政治学科卒業
1942年(昭和17年)1月:大蔵省入省
1943年(昭和18年)11月:伊地知庸子(父・純正は早稲田大学教授・英文学者[39])と結婚
1945年(昭和20年)8月:津島壽一蔵相秘書官事務取扱(同時に大平正芳が秘書官を務めている)
1949年(昭和24年)1月:池田勇人蔵相秘書官
1951年(昭和26年)8月:サンフランシスコ講和会議に全権随員として出席
1953年(昭和28年)4月:退官し広島地方区より参議院議員選挙に出馬、当選(?1965年7月)
1962年(昭和37年)7月:第2次池田第2次改造内閣で経済企画庁長官(?1964年7月)
1966年(昭和41年)12月:第1次佐藤第3次改造内閣で経済企画庁長官(?1967年11月)
1967年(昭和42年):衆議院議員選挙で初当選(?2003年10月)
1970年(昭和45年)1月:第3次佐藤内閣で通商産業大臣(?1971年7月)
1974年(昭和49年)12月:三木内閣で外務大臣[1](?1976年9月)
1977年(昭和52年)11月:福田赳夫改造内閣で経済企画庁長官
1980年(昭和55年)7月:鈴木内閣で内閣官房長官
1984年(昭和59年)10月:自民党総務会長
1986年(昭和61年)
7月:第3次中曽根内閣で大蔵大臣
8月:宏池会(宮澤派)第5代会長に就任
1987年(昭和62年)11月:竹下内閣で副総理兼大蔵大臣
1988年(昭和63年)12月:副総理・大蔵大臣を辞任
1991年(平成3年)11月:自民党総裁、内閣総理大臣
1993年(平成5年)
4月:訪米時、内閣総理大臣として初めて日本国政府専用機を使用。
8月:内閣不信任案可決により衆議院を解散(嘘つき解散)するも総選挙に敗れ内閣総辞職
1998年(平成10年)
7月:小渕内閣で大蔵大臣
12月:宏池会会長の座を加藤紘一に譲って名誉会長に就任。
2000年(平成12年)4月:森内閣で大蔵大臣(留任)
2001年(平成13年)1月:省庁再編により最後の大蔵大臣から初代財務大臣に就任(?4月)
2003年(平成15年)11月:政界引退。
2007年(平成19年)
6月:私邸で死去。
8月:内閣・自民党合同葬。

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【5】【家族】

【宮沢家】

父・裕(山下汽船社員、政治家)
1884年(明治17年)1月生?1963年(昭和38年)5月没
父・宮澤裕は広島県沼隈郡金江村(現・福山市金江町)の小さな農家に生まれた。祖父の宮澤鹿吉の時代は、生活は楽でなかった。
裕は苦学して東京帝国大学政治学科を卒業、長野県庁勤めを経て、実業界に入り海運王山下亀三郎の山下汽船(現・商船三井)に入社。亀三郎の盟友だった小川平吉に見込まれ、その女婿になった。昭和3年(1928年)郷里の広島3区から衆議院議員に当選して政界入り。以来連続6回当選し、鉄道政務次官、商工省参与などを歴任した。
母・こと(長野県、弁護士・政治家小川平吉の二女、呉服商人小川金蔵の孫)
1897年(明治30年)1月生?没
弟・弘(内務・自治官僚、政治家・広島県知事、参議院議員、法務大臣)
1921年(大正10年)9月生?2012年(平成24年)5月没
 同妻・玲子(広島県、実業家・政治家岸田正記の長女、通産官僚・政治家岸田文武の妹、政治家岸田文雄の叔母)
  同長男・洋一(大蔵官僚、政治家)
   同妻(実業家柳田誠二郎(元日本航空社長)の孫
  娘2人(大蔵官僚加藤秀樹の妻、通産官僚中澤佐市の妻)
加藤の祖父は、元労相の加藤常太郎、父はその長女鎮子の婿養子になったカトーレック社長の加藤達雄
弟・泰(外交官、西ドイツ大使)
1923年(大正12年)8月生?2010年(平成22年)9月没
 同妻・汪子(美術史家児島喜久雄(東大名誉教授)の娘)
  同長女・ゆり(大蔵官僚吉国二郎の長男の妻)
妻・庸子(英語学者・伊地知純正(早稲田大学名誉教授)の二女)
長女・啓子(人工石ジュエリーを販売する有限会社クラブサー代表[46]。夫はアメリカ合衆国のクリストファー・ラフルア元駐日代理大使)
長男・裕夫(建築家[注釈 7])
 同妻(実業家郷裕弘(三井液化ガス相談役)の娘、実業家石橋正二郎(元・ブリヂストンタイヤ会長)の孫)。親戚に鳩山一郎、石井光次郎の一族がいる。
孫・宮澤エマ(タレント 長女・啓子と娘婿・クリストファーの間の長女)

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【6】【主な著書】

【単著】
『東京―ワシントンの密談』(実業之日本社、1956年/中央公論新社・中公文庫、1999年)
Secret Talks between Tokyo and Washington: the Memoirs of Miyazawa Kiichi, 1949-1954, translated and annotated by Robert D. Eldridge. (Lexington Books, 2007).
『社会党との対話―ニュー・ライトの考え方』(講談社、1965年)
『戦後政治の証言』(読売新聞社、1991年) 月刊誌「This is 読売」の連載をまとめたもの
『21世紀への委任状』(小学館 ブックレット、1995年) ビックコミックスピリッツの連載をまとめたもの
『新・護憲宣言 21世紀の日本と世界』(朝日新聞社、1995年)
『ハト派の伝言 宮澤喜一元首相が語る』(中国新聞社、2005年) 中国新聞での連載回想

【共著】
(中山伊知郎)『将来経済の構想』(筑摩書房、1969年)
(高坂正堯)『美しい日本への挑戦』(文藝春秋、1984年、新版1991年)
(中曾根康弘)『対論改憲・護憲』(朝日新聞社、1997年/「憲法大論争 改憲vs.護憲」朝日文庫、2000年)
『聞き書 宮澤喜一回顧録』(聞き手御厨貴・中村隆英、岩波書店、2005年)
『宮澤喜一 保守本流の軌跡 90年代の証言』(五百旗頭真・伊藤元重・薬師寺克行編、朝日新聞出版、2006年)

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【7】【記録動画/アーカイブス】

【NHK/戦争証言/アーカイブス】


「空襲の戦争保険で散財した国庫」

「大蔵省の倉庫の塩を守れ」

「進駐軍への英文をタイプした妻」

 

【TBS NEWS DIG Powered by JNN】
第78代総理大臣 宮澤喜一【歴代総理列伝】
動画は以下の画像をクリックすると閲覧できます。(YouTube)

【ANNnewsCH】
【シリーズ自民党総裁の椅子】宮澤喜一「写真用ですから」 (1991年10月)【映像記録 news archive】
動画は以下の画像をクリックすると閲覧できます。(YouTube)

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【8】【項目8】

【項目8】
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【9】【項目9】

【項目9】
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【10】【項目10】

【項目10】
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