2023年1月3日更新
鞆と仙酔島の間に浮かぶ弁天島は,鞆の景観として観光パンフレットや絵葉書等にもよく描かれています。わずか1170平方メートルの小さな島の上に建つ宝形造二重の祠堂が印象的ですが,昔からいまの姿だったわけではありません。
この祠堂は弁天島の名前の由来ともなる弁財天を祀っており,創建年代は定かではありません。しかし鞆奉行 荻野重富の書いた「鞆記」には1644(正保元)年に再建したとあるので,それ以前からあったものと思われます。再建当時の姿はわかりませんが,江戸時代の絵図等には平屋造りとして描かれています。
また江戸時代の絵図などには平屋造りとして描かれ,明治時代の絵図には現在のものによく似た二重の祠堂が描かれています。強い海の風や台風などにさらされるため,修繕と改築を幾度も繰り返されていることもあり,どの段階で二重に作り直されたのかは不明ですが,今の銅板葺き朱塗りの祠堂になったのは1929(昭和4)年に行われた改築工事後のことです。
弁天島には祠堂の他にもいくつかの建造物が建っています。故郷の誇りを守るためフカ(鮫)に食われた若者の伝説が残る花崗岩製の九層石塔婆には1271(文永8)年の記年銘があり,1867(慶応3)年と彫られた百度石も残り,いずれの時代にも人々の祈りを受けていたことがうかがわれます。
元日の朝,鞆支所付近の堤防沿いの道では,多くの人々が東の空を見つめ,弁天島から昇る日の出を待っています。今も昔も身近にある一幅の絵のように,鞆の風景として親しまれています。
弁天島からの初日の出
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