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【朝日新聞】あさま山荘事件、50年後の証言 あのとき極寒の現場で見た光景は

自分がこの世に生まれて3ヶ月後に起きた「あさま山荘事件」。
昭和47年2月は、札幌冬季五輪、アメリカの大統領ニクソンによる電撃的な中国訪問などが重なり、戦後の節目、時代の分水嶺だった様です。
オイルショックは翌年の昭和48年。日本の高度成長は新たな局面になりました。
戦後の節目の出来事の一つである「あさま山荘事件」終結から、明日で50年。
歴史に学び、平和な社会を築く意義をあらためて肝に命じたいと思います。


鶴信吾

過激派グループ「連合赤軍」のメンバー5人が長野県軽井沢町の保養施設で、人質を取って10日間にわたって立てこもった「あさま山荘事件」から、今月で半世紀となった。現場や周辺にいた人は何を見たのか。元警察官、元過激派メンバー、地元住民の証言でたどった。(敬称・呼称略)

1972年2月、連合赤軍のメンバー十数人は、警察の目を逃れるため群馬県の山中を転々としていた。この間、逃亡するメンバーも相次いでいた。

大がかりな捜索の末、群馬県警は17日、同県松井田町(現・安中市)の妙義山中で、最高幹部だった森恒夫(当時27)と永田洋子(同)を殺人未遂などの疑いで逮捕した。

県境を越えたあさま山荘で立てこもり事件が起きる2日前のことだ。残るメンバーは9人となった。

つづく…

朝日新聞デジタル

 


 

 

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