【oceans.tokyo.jp】
2022.06.27
世界に誇れるメイド・イン・ジャパンは数知れず。意外かもしれないが、デニムもまさにその一例だ。それはもともとアメリカ文化を象徴するアイテムで、我々も昔から愛し憧れ、恋焦がれ……。
そんなこんなで、今日まで膨大な時間をデニムとともに過ごしてきたワケだが、どうやら長年の純愛が高じ、気付けば今や日本デニムは世界最高峰に君臨していたらしい。
ということで、今回は世界が羨む日本デニムの真髄をまとめてデリバリー。
「日本デニムは世界一」と呼ばれるワケ
業界屈指の“デニムオタク”である小林さんは、日本デニムの発展を「先達たちの情熱やガッツによるところが大きい」と分析する。
「とにかくみんな、リーバイス研究がすごかった。安さこそ正義だったアメリカのデニムを日本で科学的に研究し、そこから数多のバリエーションが生まれたんです。
アメリカが効率的な生産を目指したのに対し、日本は逆に『昔のデニムはもっとこうだったんだ』と研究を深めた。日本のデニムを作るときに、職人たちが頑張ったのはヴィンテージの再現なんです」。
逆説的だが、ヴィンテージ市場の充実がデニムの進化を促したのである。それはいわば、’90年代から熱狂的なデニムラバーだった我々オーシャンズ世代の功績でもあるのだ。
「理想のデニムづくりは日本産でないと難しい」
藤原さんを抜きにして、ヴィンテージデニムは語れない。
「日本の職人たちは、とにかくデニムの探究心がスゴい。そりゃ、海外の名だたるトップメゾンも日本で生地を作るなって思います(笑)」。
この春、藤原さんは自身のブランド「ニューマニュアル」を立ち上げた。ヴィンテージを再解釈した「新しいマニュアルづくり」を目指し、素晴らしいデニムの数々を揃えたが、「僕はレプリカが作りたいわけではない」と釘を刺す。
「長い年月によるナチュラルな変化を、同じ時をかけずに再現するのは難しい。ただ、それを実現させるために情熱を傾け、技術を発展させてきたジャパンメイドに関わる人たちは賞賛されるべき。僕がイメージするデニムづくりは、やはりジャパンメイドでないと難しいでしょうね」。
「デニム界のレクサス」はなぜ誕生した?
では、最高峰のデニムを語るとき、生地の良し悪しはどう定義すべきか。人によって見方は分かれるが、レッドカード トーキョーの本澤さんは「丈夫でありながら欠点も少ない点」と定義し、その代表例がカイハラデニムだと話す。
「カイハラの生地が素晴らしいのは、生地欠点がないところです。生地は本来、織ったときに太い糸が出てきたり、糸が切れたり、ムラになったり、色が違ったり……その積み重ねが最終的に大きな差になってきます。でも、カイハラの生地にはそれがない」。
そんなカイハラデニムを、本澤さんは「デニム界のレクサス」と位置づける。まさに”世界最高峰”を冠するにふさわしい異名ではないか。
日本デニムは街を越え、アウトドアへ
ワークウェアとして生まれたデニムだが、1950年代頃から徐々にストリートでの支持を拡大。ファッションアイテムとして不動の地位を築いた。
そして今、再びそのタフネスが”現場”から求められようとしている。
「焚き火中も安心してデニムをはきたい」。スノーピークがそんな声に応えて作り出したのがTAKIBI Denimシリーズ。もちろん、メイド・イン・ジャパンである。
最新作は、生地を従来の14オンスから軽量化が図って12.7オンスの左綾織りデニムを採用。コットン糸に難燃素材の糸を絶妙なバランスで交織し、飛び火を受けても燃え広がらないよう安全性を考慮した。
それでいて生地の綾目が立ち、使い込んでいくうちにソフトな風合いになっていくというデニムならではの特性も維持。キャンパー向けに開発されたが、デザイン性の高さとタフさでストリートからも高い支持を得ているというのも面白い。
ほかにもまだまだある、世界最高峰!日本デニムの魅力。きっと海の向こうから見れば、日本人が日本デニムをはかないなんて、日本にいながら寿司や天ぷらを避けて生活するようなもの。
要は、食わず嫌いはあまりにもったいないという話だ。