【毎日新聞】
2023/4/8
高知県いの町にある深い森に囲まれ、1人でサーモン養殖に取り組む男性がいる。土本隆司さん(62)。元は高知県職員だったが、55歳で退職した後、アメゴ(アマゴ)の養殖家に転身し、2019年からサーモンの淡水養殖に挑戦。コロナ禍や円安など逆風が続く中、「いろいろと大変やけど、面白くて、好きでやるきね」と、日々笑顔でいけすの魚と向き合っている。
高知市中心部から車で北西に約2時間半。吉野川源流点近くの同町寺川では、いけす6穴があり、数万匹のアメゴと、丸々とした数百匹のサーモンが悠々と泳いでいる。土本さんのいけすだ。
県職員として約30年勤める以前は、いの町本川漁協で約7年働き、アメゴの養殖に取り組んでいた。県庁で土木関係の仕事に精を出す日々を送りながら、漁協職員時代の楽しさが忘れられなかった。地元には、長年使われずに放置された養殖用のいけすもあり、「もったいない。なにか使えればいいのに」と思っていたという。持ち主は知り合いだったため、15年ごろに活用を申し出たところ「ぜひやってください」と快諾された。経営などの「いろいろなこまいこと」に悩みもしたが、55歳で転身を決意。「森の中の魚屋さん」と屋号を構え、アメゴ加工品の販売を開始した。
岐阜県にアメゴを分けてもらいに行った際に、同業者に誘われてサーモンの稚魚も購入して、養殖を始めた。淡水のみでサーモンを育てる業者は少なく、県内でも数えるほど。海水を用いた養殖より成長速度が遅く、出荷までに時間がかかるという。物価高騰で餌代も値上がりし、「家族からも『昔から変わり者だと思ってたけど、ここまで変わっているとは思わんかった』と言われとる」と笑う。
ゆっくり育ち「もちもち」
一方で山奥で育てるメリットもある。養殖場がある場所は標高約850メートル。吉野川の清らかな水だけで育てるうえ、夏場でも水温が平均15~16度前後にしか上がらないことから魚が病気にかかりにくい。ゆっくり育った分、「弾力やかみ応えがあり、もちもちとした食感」(土本さん)に仕上がるという。
「こういうのも面白いだろう」と軽い気持ちで仕入れた500匹だったが、順調に育ち、3年ほど前に初めて50センチ程度の状態で県内にあるホテルのレストランに届けた。料理長から色味などについてアドバイスを受け、70センチほどの大きさで出荷する今の形に落ち着いた。「脂ものっていて、刺し身やムニエルなど、どんな料理にしてもおいしい」と評判も良く、今では毎月5~10匹前後を、一般的なサーモンより高値で卸している。
県職員を途中で辞めてまで、アメゴやサーモンの養殖に取り組む背景には、漁業者や漁協を取り巻く厳しい環境もある。15年に66人いた同町本川漁協の正組合員数は、21年には49人に減少。「魚が捕れなかったり、密漁をされたりもして、漁協も体力的に厳しい。(サーモンを)地場産品として育てて、なんとか手助けできれば」と話す。ブランド名には、町内にある手箱山の氷室(ひむろ)から土佐藩主に氷を献上していたという江戸時代の故事にちなんで「氷室サーモン」と名付ける予定だ。
20年からは、岐阜県の業者などから直接卵を仕入れ、ふ化もさせている。まだ個別販売にはこぎつけていないが、最終的に年間1000匹程度を卸し、ふるさと納税などを通して一般の消費者にも食べてもらうことが目標だ。「やっぱり『おいしいよ』って言ってもらえるのが一番うれしい。いろいろな人に食べてもらえるよう安定供給をできるようにしたい」と意気込む。【小宅洋介】