【時事】
2023/6/20
太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を悼む23日の「慰霊の日」を前に、沖縄県豊見城市の旧日本海軍司令部壕(ごう)で、暗号電文のやりとりに使われた無線装置の再現展示が始まった。復元模型の置かれた信号室では、大田実司令官が自決直前、「沖縄県民かく戦えり」の電文を打ったとされる。壕を管理する団体は「来場者に戦争の愚かさを感じてもらうきっかけにしたい」としている。
地下に通路が縦横に張り巡らされた壕は、県などが出資する一般財団法人「沖縄観光コンベンションビューロー」(OCVB)が管理している。司令官室を中心に約300メートルが整備され、幕僚が手りゅう弾で自決した痕などが生々しく残る部屋や通路が公開されている。
再現したのは幅60センチ、高さ40センチ、奥行き30センチほどの送信機と受信機。電文にはモールス信号が使われた。実物は残っておらず、旧軍の無線機に詳しい横浜旧軍無線通信資料館(横浜市)の助言を受けて製作した。
大田司令官は壕内で自決する間際、東京の海軍次官に宛てて「県民はこのように戦った」と伝えた。男性は動員され、女性、子ども、高齢者が戦闘に巻き込まれながら「報われなかった」として、「県民に後世特別のご配慮をしてくださいますように」と訴えた。
地下に追い込まれた日本軍が米軍の猛攻を受ける中、通信兵の荒川一登さんらが信号室に残って電文を打ったとされる。荒川さんの長男恒光さん(84)=福岡県小郡市=は13日、信号室を訪れ「司令官が込めた思いを、父も胸に秘めて発したのだろう」と思いをはせた。
沖縄戦では日本軍の戦闘に県民が巻き込まれ、軍民合わせて20万人が犠牲となった。展示を企画した酒井達也さんは、海軍が沖縄から戦況を伝えた2900通の中で、県民に思いを寄せた唯一のものだと指摘。「壕内外で4000人が死んだ地獄絵図を想像し、平和の尊さを感じてほしい」と語った。