【gendai】
2023.10.26
良かれと思って「できるだけ歩かないですむ」街づくりをしたら、それが住民の健康を阻害する結果に通じかねないことがわかってきたーーこうした新しい科学的事実の発見で、問題解決の方法を変える必要が生じることがある。
論理的な思考を支える「モデル分析」を、慶應義塾大学で教鞭をとる栗田治氏が徹底的にわかりやすく(数式はいっさい使わずに)解説した講談社現代新書『思考の方法学』。
刊行以来、知的好奇心に溢れる方々をはじめ、ビジネスパーソンからも高い評価を得ている同書より、人間の真の幸せの実現のために都市工学研究に生じつつあるアイディアについて述べた「人間の領分」の節を抜粋して紹介する。
(※本記事は『思考の方法学』から抜粋・編集したものです。)
「住民による徒歩」を肯定する動き
「目的合理的な思考による意思決定」を下支えするのがモデル分析です。そして、この意思決定には必ず「問題の所有者」が存在します。人間の価値観(何をもって善しとするかということ)に依存してモデルがつくられ、固有の解(物事への対処法)が合理的に突き止められる、という論理の流れです。
ここでは、こうした人間の価値観に基づく現実問題へのアプローチが、社会的な状況の変化、ならびに新たなる科学的事実の発見から影響を受けて変容する場合があることを述べましょう。
説明のために、「都市施設の配置モデルにおける例」をあげてみます。住民にとって善き施設の位置を決める、という問題です。そのためのモデルをつくるに際して、
(a)住民の移動距離の総和を最小にする
(b)住民の施設への移動距離の最大値を最小にする
(c)住民の移動距離の分散(ばらつきの尺度)を最小にする
という3つのアプローチがあります。(a)は社会的な最適化、(b)は弱者救済、(c)は住民間の公平性、という具合に、それぞれが異なる価値観に対応しています。
ただし、これらには共通の大前提があることにお気づきでしょうか。
ここで紹介した、異なる価値観による異なるモデルに共通する大前提は、「移動距離は短いほど良い」というものです。[移動距離が短いこと]=[合理的]という理解です。今日に至るまでの長い研究の系譜を通じて、移動距離は常に必要悪として取り扱われてきたのです。
しかし、最近の都市工学研究においては、このことに変化が起きつつあります。それは、住民の徒歩による移動距離を、むしろ積極的に評価し、それなりの距離を気持ちよく歩いてもらう都市構造を実現しよう、というアイデアです。これには3つの背景があります。
街並みの美しさと「買い物弱者」への配慮
第一の背景は、これまでの都市計画が自動車の利便性を追求することを主眼に据えてきたことへの反省です。特に地方都市での過度な自動車利用が問題です。一つの世帯に複数の自動車が保有されるのも常であり、家族の各自が自動車で通勤し、自動車で買い物をし、自動車で人に会いにゆきます。
これに徒歩空間の景観設計の貧困(つまり歩いていても楽しくない街並み)が重なる場合は、なおさらに徒歩移動の頻度が低くなります。実際に、多くの地方都市で、ほとんど人通りがなく自動車だけが行きかっている光景がよく見られます。
こうした深刻な事態を反省し、都市空間を豊かな景観設計の下で心地よく歩き回れるものとして生まれ変わらせようというアイデアです。歩道が安全で緑と花で彩られ、楽しい文化的な仕掛けが設けられ、美しいファサード(建物正面の造形)をもつ統一感のある街並みだったら、いくらでも歩きたくなるはずです。
第二の背景は、高齢化への対応です。地方の山間部などでは、人口減のために小売業が存続できなくなり、次々に撤退しています。若い世代は、それでも無理をすれば自動車で遠くまで買い物にゆけるのですが、高齢者はそうはいかない場合も多いのです。日常の食料品の買い物にも困る、いわゆる「買い物弱者」が出現しつつあります(そのような人たちが住むエリアは food desert 食料砂漠と呼ばれます)。
こうした人たちを助けるためには、これまでの都市構造ではだめであり、コンパクトな都市に集住してもらい、徒歩によって日常生活が送れるようにしてあげればよかろう、というわけです。