クイズで知る!福山ゆかりの先人 12の巻
福山ゆかりの先人
「福山」というまちが誕生して400年を機に,本市の出身またはゆかりの深い人物の功績を顕彰し,郷土への誇りと愛着を育み,次代に継承していくため,「福山ゆかりの先人」29名を選定しました。
これまで,選定した29名については,福山城博物館最上階でのパネル展示,市HPでの功績等の紹介を通して顕彰をしています。
↠ゆかりの先人HP https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/miryoku2023/289362.html
もっと多くの人に知ってもらうため,2023年(令和5年)広報1月号から「福山ゆかりの先人」についての連載を始めています。
親しみやすいようクイズ形式で「福山ゆかりの先人」を紹介します。12月は,丸山茂助と藤井厚二についてのクイズです。
Q 丸山茂助が創設した松永下駄産業は,全盛期には年間どれくらいの下駄を生産していたでしょうか?
(1)56万足 (2)560万足 (3)5,600万足
正解 (3)5,600万足
【解説】
松永下駄は1955年頃が生産量のピークで,年間5,600万足が生産される日本一の産地でした。松永はきもの資料館では松永下駄産業の資料が多く展示されており,当時の生産方法などを知ることができます。
丸山茂助(1853-1917)
備後国松永村(現在の松永町)出身。松永下駄産業の創始者。山陰のアブラギリを使った大衆向けの安価な下駄製作に成功。機械化にも積極的に取り組み,大量生産・製造コスト削減を可能にし,松永を日本一の下駄の生産地にした。
(松永はきもの資料館蔵)
藤井厚二は研究のために自邸を何回建てたでしょうか?
(1)3回 (2)4回 (3)5回
正解 (3)5回
【解説】
藤井厚二は日本の気候風土に適応した住宅の在り方を実証するため,自邸を研究住宅として次々と建築しました。5回目に建築した「聴竹居」は研究の集大成で,現在は国の重要文化財となっています。
藤井厚二(1888-1938)
現在の宝町出身。建築家・建築学者。東京帝国大学卒業後,建築環境工学の分野を開拓する。日本の風土に適した住宅の在り様を研究し,日本と西洋的な空間構成とを融合させる手法を提示した。1928年建築の京都にある平屋の自邸「聴竹居」は近代住宅建築の名作として名高い。
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