鯛網漁法絵図
「鯛網漁法絵図」
春の訪れとともに、産卵のためマダイが瀬戸内海に入ってきます。鞆沖の燧灘一帯の鯛の群れを追いかけ、一船団約600人で行う「鯛縛網」(鯛網)という大掛かりな漁法を江戸初期の寛永年間(1630年代)、走島の村上太郎兵衛と鞆の当納屋忠兵衛が考案したと伝承されています。
この鯛網漁法絵図は、明治26年に描かれ、縦1m40cm、横1m80cmもある大きく迫力のある作品で、往時の鯛縛網の勇壮な漁法をよく伝える貴重なものです。絵図の中央に14隻からなる一船団の船が集まり、漁師が網を揚げ、鯛を一網打尽にする様子を描いています。絵図の上部には、鯛網漁法と図解の説明が詳細に書かれ、残りの部分には鯛縛網で使用する浮樽や網などの道具類が19点描かれ、中には鯛ばりと呼ばれる針を肛門から突き出し、鯛の浮き袋を破り、生きのよい鯛にする方法も描かれています。左下の指揮船には、海外の賓客が椅子に座り、この漁を見物しています。
また、この絵図は1897年(明治30年)に神戸で行われた「第2回水産博覧会」に出品され、こうした漁法の部では最上位の「有効一等」を受賞しています。現在も鯛縛網の漁法は、大正12年に始められた「観光鯛網」で毎年5月に見ることができます。
なお、本図は鯛網コーナー展で展示しています
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