2024年6月1日更新
備後絣の百年
企画展「備後絣の百年」
備後絣は嘉永6年(1853年)備後国芦田郡下有地村の富田久三郎によって備後地方で初めてその技術が創案されました。当時備後地方では農業以外に大きな収入がなく、織物は生活を良くするための副業として行われていましたが、久三郎が絣の技術を独占することなく教え広めたことで本業にするものが増え、地域の産業として大きく発展していきました。
この絣は、大正初期頃に備後地方で手紡ぎ糸を使い、高機(手織り機)で織られたものです。「竹に梅」「松に亀甲入り寿」の2柄で「松竹梅」のおめでたい柄を表しています。当時、機織り道具は花嫁支度の必需品とされ、花嫁自らが織った布団を持って行ったといいます。機織りは女性の大切な仕事としてとらえられ、絣織りの巧みな嫁は一家の重要な稼ぎ手として歓迎されました。
企画展では、「備後絣」の始まりから現在に受け継がれる染織技術、製品の変遷を紹介します。 (同展は7月21日(日曜日)まで開催しています)
このページに関するお問い合わせ先
福山市しんいち歴史民俗博物館
Tel:0847-52-2992
Tel:0847-52-2992