以下は、私にとって、とても大切な投稿です。
長いですけれど、よろしければ、ホスピスのくだりだけでもお読みください。
午後には、京都市会議員研修に参加させていただきました。
京都市会では、年に1度、各界でご活躍される方を講師にお招きして、講演や意見交換を行っておられます。
今回の研修には、劇作家、演出家で、京都市特別顧問にも就任いただいているわが畏友・平田オリザさんが講師として登壇されました。
平田オリザさんとは20年以上のお付き合いがございますので、研修の冒頭、私から平田オリザさんをご紹介させていただきました。
今回の研修は「わかりあえないことから-演劇教育と他者理解-」をテーマに、60分ほど平田オリザさんが講演をされ、その後30分ほどにわたって、市会議員の皆様からの活発な質疑に平田オリザさんがお答えされました。
ホスピスでの末期癌の患者さんの奥さんと医師・看護師さんとの会話で、奥さんが毎日、「この薬はどうして使うんでしょうか?」と訊ねられ、医師も看護師もその理由や薬効と限界の説明に努めるものの、患者さんの奥さんは、それでも毎日同じ質問をされます。
最初のうちは懸命に説明していた医療現場では、連日続く同じ質問に、また始まったか…と困惑が拡がりますが、ある日、ベテランの医師が、
「奥さん、つらいねぇ…。」
と声をかけると、患者さんの奥さんは、その場で泣き崩れ、そして、もうその翌日からその質問をされなくなった、そんな話があります。
末期癌の配偶者を抱えたその御婦人が求めていたのは、論理的に薬効や治療法を説明する医師ではなく、このつらさ、同じような生活習慣でもその癌を発病する人もいれば発病しない人もいる、治療法が合う人もいれば合わない人もいる、自分の配偶者を襲った病魔の悲劇について、その不合理について、寄り添ってくれる一言だったのではないか、という話です。
こうしたところにも、対話のコンテキストのずれの難しさがあるのです、という話を聴くたびに、私は涙を堪えきれませんし、議場を斜め後ろから拝見すると目頭を押さえる議員の先生方が党派を超えて何人もおられました。
そして政治の本質は、社会的につらい立場に置かれている方々にとっての、その発言や、発言の裏側にある真意、コンテキストを理解し、それにしっかりと寄り添うことにあるのではないか。どんなに優れたコンピュータもAIもこうしたコミュニケーションは困難で、それこそが生身の政治家の仕事ではないか?
もっと言えば、人間の言葉や問いに対して、論理立った説明や解説をすることについて、雄弁にペラペラと解説をすることについては優秀な医者や科学者が居るかも知れないし、その点に関してはAIは人間を凌駕するかも知れないけれど、その人間の言葉の裏側に隠れた真意や心の叫びを感知して、そこに寄り添うことが出来るのは人間だけではないか?
そのことこそが、コンピュータやデジタルと人間の関係ではなく、人間と人間の関係ではないか。いくつもの失敗を重ねながらも、人と人との対話、コミュニケーションのあり方を追究することが、この世にわれわれが産み落とされてきた理由でははないか。という平田オリザさん問い(或いはオリザさんの問いに端を発した私自身の自問自答)に対して、私は、保守やリベラルといったイデオロギーや思想信条に関わりなく、共感を禁じ得ないのであります。
平田オリザさん、本日もありがとうございました。
こうした貴重な京都市会議員研修に、京都市長が参加させていただくのは、歴史上、今回が初めてとのことで、出席をお認めいただきました市会議員の皆様にも心から感謝申し上げます。
写真は後ほど市会事務局の許可を得たものを添付します🙇
京都市長松井孝治さんの投稿です。

京都市長松井孝治さんの投稿です。
同感です。