かつて海であったことを物語る蛙岩
深津高地の南端からさらに南へ約400m、港町公園の一角に、自然の岩が露出しています。
この岩について江戸時代の地誌「備陽六郡志」には、「深津村近辺は元和、寛永の頃まで海で、なら津、吉津、徳田、道上の辺りまで船の往来があって、蛙岩の石山に船が乗り上げ多く破損した」とあります。「福山志料」にも「薬師寺の辺りを西濱といい、遠干潟である。蛙岩という礁(かくれいわ)があって、往来の船が損傷することがたびたびある。一丁(約100m)四方ばかりの石であったが、今は田の中に残り三間(約6m)四方ばかりに見え、形はがまがえるが座ってようだ」と記されています。
「西備名区」には「西濱沖の蛙岩はここに住む大蛙であったが、ある時大蛇が来てのもうとした。蛙は逃げ回るが、なすすべもなく恐ろしさのあまり石となった。大蛇も食おうとするが石となってはのむ事ができず、大いに気を落として死に深津高地になった」という伝説が書かれています。
さらに、1931(昭和6)年発行の「深津郷土読本」にも蛇山、蛙岩の伝説が取り上げられ、郷土の歴史として子どもたちに語り継がれてきました。
このように、福山城下の東方、深津高地はかつて深く湾入した福山湾内に突出した半島状の丘で、自然の良港が形成されていました。その先端にあった蛙岩は潮の干満により見え隠れする暗礁で、船の座礁の要因になっていたことが想像されます。
後に福山の町が形成されていく干拓の歴史や深津の地名の由来を知ることが出来る遺産です。
蛙の鳴き声が聞こえてきそうな蛙岩
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