福山城入川の存在を示す 名もなき橋
松浜町一丁目北交差点近くの道路脇に5メートルほどの長さで、モルタル洗い出しの親柱と高欄が地上に見える橋があります。この橋は、かつて福山城の入川に架かっていた橋の一部です。
入川は福山城の外堀と海をつなぐ運河で、満潮時には外堀まで船で入ることができました。現在の御船町辺りには藩船をつなぎ留めるための御舟入(船溜まり)が設けられ、その周囲は船奉行をはじめ、船頭や水主(かこ)の屋敷に当てられていました。また川沿いに市が開かれ、活気のあるにぎやかな港町が広がっていました。
やがて深津や手城、川口の埋め立てによって入川は東へ延び、現在の港町付近にも「座床」と称する船溜まりが置かれました。
入川は商港として城下町の経済的機能を果たしていたため、土砂で川が埋まり浅くなったときは藩により川さらえが行われました。しかし藩の財政が窮乏するにつれ次第に埋まっていきます。幕末には藩船はすべて座床に移され、往時は川幅が30~45メートルあった入川も明治以降、築切の方から狭められ、船一隻が通れるほどの川幅になります。戦後、戦災復興都市計画により現在のリーデンローズ付近まで埋め立てられ、入川は姿を消しました。
この橋は、川幅が狭められた入川に架けられていたと考えられ、かつては入川沿いに祀られていた川口八十八カ所1・2番札所とともに、福山のまちの変遷を今に伝えています。
入川に架かっていた橋
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