今も水を湛える 黄金水
城内での生活に飲み水は大切で、井戸は水の確保に大事な役割を果たしていました。
17世紀半ばに幕府が各藩に命じて提出させた「正保城絵図」の福山城絵図には本丸の北西隅に井戸が描かれており、深さ六間(約12m)と記されています。位置的に現在本丸内に唯一残る井戸、黄金水と思われます。また、阿部家時代に編纂された「備陽六郡志」の福山城内本丸の項には、鉄門枡形(くろがねもんますがた)内と御台所脇に井戸があり、西坂口門や東坂口門などに清水があると記しています。
黄金水は本丸の水源を支えてきた福山城で最も重要な井戸です。1872(明治5)年に福山藩の儒者、江木鰐水(1810~1881年)が残した記録によれば、城内に黄金水に勝る井戸はなく、水野勝成が福山城を築城した際に、井戸の中に黄金を埋めて水気を清めたことから「黄金水」と呼ばれたと記されています。また1774(安永3)年に描かれた福山城の古絵図には、本丸に5つの井戸が記録されていますがいずれも水量が少なく、石組みの井戸(黄金水)のみが用水として有用であると書かれています。
大正時代の調査では井戸の深さは約13m、水深は約5mで水質が良好であったと記されており、現在も涸れずに水を湛えています。
本丸内に唯一残る井戸・黄金水
※現在は福山城リニューアル工事のため、見ることはできません。
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