なぜ日本は働いているのに貧困から抜け出せない「ワーキング・プア」が多いのか。東京都立大学の阿部彩教授は「韓国などの他国は最低賃金を上げ続けるなどの政策を打ち続けてきたが、日本はほとんど何もしてこなかった。このため平均賃金も上がらず、子供の生活水準が相対的に低くなっている」という――。

※本稿は、阿部彩ほか『自助社会を終わらせる』(岩波書店)の一部を再編集したものです。

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日本でも子供の貧困問題が一般的に認知されるようになった

子どもの貧困が日本の政策課題として取り上げられてから、すでに10年近い歳月が流れました。筆者が、『子どもの貧困 日本の不公平を考える』と題する岩波新書を出させていただいたのは2008年でした。当時はこれほどまでに「子どもの貧困」という言葉が普及するようになるとは夢にも思っていませんでした。

それから10年余、曲がりなりにも、日本のなかの貧困が一般市民にも認識されるようになったことは大きなステップです。一方で、過去10年間の子どもの貧困政策を見ると、何か違うんじゃないか、という違和感が否めません。

たしかに、ここ10年間で、貧困世帯の子どもの高等教育無償化、返済不要の給付型奨学金の設立、就学前教育(保育)の無償化など、かつては到底実現しないであろうと思っていた政策が実現しています。また、NPOなどの民間の取り組みが活発化し、「子ども食堂」や「無料学習支援」が日本各地で始まりました。子ども食堂は、すでに全国で6000を超える団体によりおこなわれています

政府も、これら民間の取り組みを後押しするために、「子供の未来応援国民運動」を2015年に立ち上げ、15億円を超える寄付金(2020年度末時点、子供の未来応援国民運動推進事務局2021)を個人や企業から集め、子どもの貧困に関する市民活動等を支援しています。まるで、子どもの貧困について、国民一丸となって「力を結集して全ての子供たちが夢と希望を持って成長していける社会の実現」(子供の未来応援国民運動発起人2015)に取り組んでいるように見えます。

これらの活動は、どれも貴重な取り組みであり、これらを批判する根拠はまったくありません。しかしながら、これらの取り組みが脚光を浴びるなかで、何か大事なことを忘れてしまっているような大きな違和感があるのです。