菅茶山の足跡を訪ねて(8)対潮楼からの眺め
「対潮楼」
評品江山人不同
傍觀遠客眼應公
望看朱棟懸天半
來見蒼□(山冠に品)挿水中
島嶼斷連松石影
雲濤豁達帆檣風
休言邦俗誇郷土
果爾靈區甲大東
(要約)どの山河を一番とするかは人によって違うが、遠方から来て眺めるひと(朝鮮通信使)の眼は公平であろう。望み見れば朱色の建物が天に懸り、近くを見れば蒼い岩が海にそそり立つ。島々が途切れ途切れに連なり松や岩が風景としてある。雲も波も悠々と広がり帆は風を受ける。郷土のひとが自慢するように、果たしてこの景色が一番美しい。
1795(寛政7)年に鞆を訪れた菅茶山が詠んだ漢詩です。
1711(正徳元)年第8回朝鮮通信使の一行は、福禅寺の客殿からの景色が対馬から江戸までの間で一番美しいと評し、従事官の李邦彦が「日東第一形勝」の書を記しました。
1764(宝暦14)年第11回の後、長らく途絶えていた朝鮮通信使は1811(文化8)年に来訪をすることになりました。しかし幕府の財政悪化などさまざまな理由から、使節は対馬で止められました。この対応のため対馬に派遣された江戸の儒学者古賀精里を茶山は神辺で出迎えています。翌年「日東第一形勝」の書を版木にして広く人々に見てもらうよう勧めたのは、この時古賀と話したことが理由だったかもしれません。
対馬止まりとなった12回目の朝鮮通信使。もし通常通りの経路を通り、鞆へ寄港していたなら、当世随一の漢詩人と称された茶山は鞆で使節と語らい得ていたかもしれません。
<対潮楼からの眺め>
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