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菅茶山の足跡を訪ねて(10)福山左義長(とんど)/2024年1月1日更新

2024年1月1日更新

菅茶山の足跡を訪ねて(10)福山左義長(とんど)

​ 福山左義長は、1623(元和9)年正月に水野勝成の入城を祝って、城下の人々が飾りとんどを引いて東堀端に整列したのが始まりです。城下町各所が競って飾りを工夫し、音頭を唱えながら市中をかつぎまわるという練り歩きが特徴です。

1815(文化12)年頃、江戸の学者 屋代弘賢が全国の藩に送った風俗・年中行事についての質問状に対する福山藩の回答書に「備後国福山領風俗問状答」があります。祭り、諸行事、遊び等について、多くの挿し絵を入れ事細かに記録された地誌で、藩内での聞き取りや領内各地から寄せられた報告書を基に、菅茶山が中心となって編さんしました。

その中の正月の項に「左義長の事」という記述があります。

「とんどという。城下町々、十日頃より子どもたちが、家々のしめ縄、松飾りを集める。その後老若そろって大竹四本を縄で巻き立て、裾を四つ足に開き山という。(中略)飾りは年々思い付きの品や鳥獣草木まで手を尽くす。大小およそ三、四十基が十三日までに飾りつけられ、十三日・十四日に市中をかつぎまわる。十四日の申の刻(午後4時)に本庄村前地に持ち出して火をかけ、「とんどや左義長(とんど)や明年もござれや」と人々はやして燃やす。この時、もちを竹にはさみ、その火で焼いて持ち帰り、人々少しずついただいて祝う…」と、4枚の挿し絵とともに詳細に書かれており、福山左義長が、この時期にも正月行事として継承されていたことが分かります。

令和の今では練り歩きは減少しましたが、今年も一年の無事を祈って各地でとんどが行われます。

詐欺業(右)挿絵の左義長図(右)

左義長(左)​挿絵の左義長図(左)​

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