大河ドラマの時代考証を務め、歴史バラエティ番組でもお馴染みの東京大学教授が、幕府の頂点に立って武士たちを統率する征夷大将軍について語り尽くす。「将軍」という地位を得るとはいったいどういうことなのか。※本稿は、本郷和人『「将軍」の日本史』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。

「地位」と「権限」が対応しない日本
上皇と天皇はどちらが偉いのか

将軍とは何かを考えるとき、まず押さえておきたいのは、歴史的にみて日本は、「地位」よりも「人」を優先する社会だということです。

つい私たちは、将軍という地位に就くことで、当然、将軍としての何か特別な「権限」が得られると考えます。現代の会社組織で言えば、出世して部長になれば部長の権限を得る。役員に昇格すれば、権限はさらに大きくなる。「役職=地位」に伴ってそれ相応の「権限」が得られ、その分、給料も上がる。部長で定年退職を迎えて役職から降りたりすれば、その権限はなくなり「ただの人」になる、というわけです。現代の会社組織であれば、これは至極当然のことと言えます。

つまり、現代社会では通常、地位と大きな権限というものがセットになっていると考えます。しかし、それは、日本の歴史をみる際には大きな誤解を招きかねません。そのような常識から将軍という地位を考えたとき、それ相応の権限や権力という「中身」があるとみなしてしまうことになるでしょう。しかし、日本の歴史においては、実は「地位」と「権限」というものが一対一の対応になっていない場合が多いのです。

例えば、天皇ではなく、先の天皇である上皇が政治を行う「院政」を考えてみてください。天皇が生前に譲位して上皇になるわけですが、院政の場合、たとえ天皇という地位から降りたとしても、上皇は権力を手放しません。天皇に代わって上皇が政治を行うため、言ってみれば、天皇よりも上皇のほうがはるかに偉いということになるのです。

どちらが上でどちらが下なのかは、「朝覲行幸(ちょうきんぎょうこう)」という、天皇が上皇のところにご機嫌伺いに行く儀式を見ても明らかです。天皇が上皇のところへ行けば、上皇は門前まで出迎えます。そこで二人は挨拶を交わすのですが、どちらから先に「ご機嫌いかがですか」と頭を下げるのかというと、天皇のほうなのです。それに対して、上皇は「元気でやっていますよ」と応じます。

そこには、父と子の家父長制的な権力関係があるとも言えるでしょう。家長であり父である上皇に対して、天皇は子や孫に当たるわけで、「家」的な見方からすれば、やはり父である上皇のほうが偉いということになります。そのとき、その人が持っている力は、地位とは関係ありません。父と子というように、「人」を正当化するのは血統であり、家柄であると言えるのです。