菅茶山の足跡を訪ねて(11)西福寺の梅
茶山は自身を「梅癖」と称すほど梅の花が好きだったようで、梅を詠んだ漢詩がいくつも残っています。神辺町の西福寺には、菅茶山の「西福寺賞梅」の歌碑があります。
品茶琢句坐斜陽
閑事偏知春日長
暮鳥還棲驚有客
梅花花底小僧房
(要約)
お茶を楽しみ句を捻って座っているうちに日が傾いてきた。のんびり過ごしていると春の日は長い。日暮れに鳥がねぐらに帰って来ると、客(茶山)がいたことに驚いたようだ。満開の梅の花に覆われた小僧房でのこと。
梅の咲き誇る頃の穏やかな景色と、鳥に心を寄せる茶山の人柄が伝わってきます。
文人たちにとって梅は特別なものであったのか、身近な場所だけではなく遠方まで梅を求めて足を運びました。13歳年上の友、西山拙齋が神辺を訪れて、初めて顔を合わせた際も三原まで梅を見に行っています。
西山拙齋は茶山に先駆け、鴨方に私塾「欽塾」を開いた儒学者です。京都で同じ師に学んでいますが、知り合ったのは郷里に帰ってからのことです。拙齋は茶山にとっては最も交遊を深めた人物で、師のような存在でした。神辺を訪れた拙齋は茶山とたびたび西福寺に遊び、詩を詠んでいます。1798(寛政10)年に拙齋が亡くなるまで交流は続きました。
また茶山の編さんした「福山志料」の西福寺の項には、拙齋の漢詩が掲載されており,親交の深さを物語っています。
このページに関するお問い合わせ先
文化振興課
084-928-1278