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皆さんは、岡山市在住の竹内昌彦さんをご存知でしょうか?生後間もなく右目を失明、さらには小学生のときに左目を失明し、これまで70年以上にわたって目の全く見えない人生を歩んできました。
そんな竹内さんのライフワークとも言えるのが「講演」です。これまで30年間で3000回近くの講演を行い、悩める多くの人たちを救ってきました。
小学生時代の壮絶ないじめ、青年期の大きな挫折、幼き長男の死…多くの苦難を乗り越えた竹内さんから紡ぎ出される言葉は、今を生きる人たちの心に響きます。
そんな竹内昌彦さんを、RSKラジオ・RSKイブニングニュース・RSK地域スペシャル メッセージでは15年に渡って追い続けてきました。「死ななくてよかった」「その言葉で命を救われた」「生きる勇気をもらった」…竹内さんの言葉・人生をシリーズでお送りしていきます。
【第1話】「自殺するな 辛かったら逃げてもいい 死なずに待て」
【第2話】「これまで3回死にたいと…でも生きててよかった」
小学校時代の壮絶ないじめ「石を投げられ、給食にごみ入れられ」
1945年2月、中国・天津で生まれた竹内昌彦さん。
その竹内さんは終戦後、生後6か月の時に天津からの引き揚げ船で風邪をこじらせ、急性の肺炎にかかり、何日も生死をさまよったといいます。この時に右目を失明し、左も大きく視力を落としてしまいました。
帰ってきた、両親の故郷・岡山。わずかな視力で、岡山市内の小学校に通い始めました。戦後間もない時代。待っていたのは、目の見えない竹内さんに対する、激しいいじめと差別でした。
(竹内 昌彦さん)
「今以上にね、時代がもう『障害者は人間扱いでない』というかね。だから『目が見えない』ということは、子供の世界では、要するに『自分より劣っている』わけですから」
「残酷ですよね。目が見えないというだけで、別に何もしていないのに石を投げられたり、給食のおかずやミルクにゴミを入れられたり」