鞆は将軍が11年も政権を構えた場所だった
鞆幕府に迫る
港町文化をテーマとしたストーリーが日本遺産に認定された鞆の浦。NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」でも登場する将軍・足利義昭は、京都から逃れこの地で政権(鞆幕府)を構えました。今回は鞆幕府や足利義昭とともに、鞆の浦歴史民俗資料館で開催する特別展を紹介します
- 問い合わせ
- 鞆の浦歴史民俗資料館(084-982-1121)(10月6日(火曜日)・7日(水曜日)は休館)
- ID
- 200937
鞆幕府とは
戦国時代、織田信長によって擁立された室町幕府第15代将軍の足利義昭は、やがて信長と対立。1573年に京都を追われ、流浪を重ねながら最終的に毛利輝元を頼り、鞆に身を寄せます。一般的に義昭が京都を離れた時点で室町幕府は滅んだとされますが、義昭はその後も征夷大将軍の地位にあり、1576年に鞆で政権を構えました。また毛利輝元を副将軍に据え、幕府直轄下の寺院を支配して援助を得るなど、将軍としての影響力をもっていました。近年の研究では、諸説ありますが、義昭が鞆を去る1587年までの11年間の政権を「鞆幕府」と呼んでいます。
なぜ鞆に幕府が?
鞆は瀬戸内海の中央に位置し、仙酔島が天然の防波堤になるなど、万葉の時代から「潮待ちの港」として当時の海上交通の大きな役割を担い、経済・文化・政治の拠点の一つでした。また室町幕府を開く足利尊氏が、南北朝の動乱時に鞆で軍勢を集結させるなど、足利家にとっても吉兆の地でした。そのため室町幕府再興をめざした義昭は、瀬戸内の水軍(海賊)を擁し、鞆を支配していた毛利輝元を頼り政権を構えたのです。義昭の周辺は武家家臣をはじめ、芸能集団や侍医など多くの随行者がいたため、100人以上の関係者が鞆で生活していたと推定されています。
遣明船の模型
(30分の1スケール・全長87cm)
室町幕府最後の将軍
足利義昭とは
父は第12代将軍・足利義晴。兄の第13代将軍・義輝が暗殺され、その後信長に擁され上洛し、第15代将軍になりました。やがて信長と対立し、武田信玄や朝倉義景らと呼応して信長包囲網を形成。一時は信長を追い詰めるも、京都から追われ、鞆に身を寄せました。鞆から京都に戻った後は翌年に将軍職を辞して出家。朝廷から准三后という高い位を受け、1万石を拝領。晩年は御伽衆(おとぎしゅう)として秀吉の話し相手を務めていました。
鞆では各地の大名に御内書(将軍が発する文書)を下すなど精力的に活動。鞆の浦を一望できる鞆城を居館としたほか、いくつか周辺を移転しており、1582年頃は鞆近くの常国寺に滞在しました。常国寺には御内書をはじめ、義昭の遺愛品などが数多く残されています
足利義昭像(東京国立博物館蔵)
伝・足利義昭愛用品
蒔絵(まきえ) 硯箱(常国寺蔵)
鞆の魅力
古くから海上交通の要衝だった鞆は、室町幕府の始まりと終わりに深く関係しています。また江戸時代の港湾施設がまとまって現存する国内唯一の港町でもあり、鞆の港町文化をテーマとしたストーリーは日本遺産にも認定されています。
鞆の浦歴史民俗資料館では、鞆幕府と足利義昭の紹介を中心とした国内初の特別展を開催します。海と深く関わりながら、小さくとも歴史が集積する港町・鞆のこれまでと未来を展望できる展示となっています。
地元の小学生が原画を考案
将軍!よしあきくんが鞆で活躍中
鞆幕府の主役だった足利義昭をモチーフにしたマスコットキャラクターの原画を鞆の浦学園の児童が考案。特別展の開催に合わせ、子ども向けパンフレットなどに登場するほか、鞆の浦を運行するラッピングバスなどで活用しています。
鞆の浦歴史民俗資料館特別展
鞆幕府
将軍 足利義昭
~ 瀬戸内・海城・水軍 ~
知られざる鞆幕府の足跡をたどり、足利義昭が鞆から織田信長包囲網や幕府再興を画策した様子などを紹介します。
- 日時
- 10月8日(木曜日)から
11月23日(月曜日)
- 入館料
- 一般150円
※高校生まで無料。
11月3日(火曜日)は
入館無料
足利義昭
胴肩衣
(常国寺蔵)
- 問い合わせ
- 鞆の浦歴史民俗資料館(084-982-1121)
関連行事 講演会「鞆幕府」論再考
- 日時・場所
- 11月8日(日曜日)14時から15時30分・鞆公民館
講師…藤田達生さん(三重大学教授)
- 定員
- 100人※抽選
- 申込・問い合わせ
10月29日(木曜日)(必着)までに、往復はがき(1枚で1人)で、「鞆幕府講演会を希望」と記入の上、住所・名前・電話番号を、鞆の浦歴史民俗資料館(鞆町後地536番1号082-982-1121)へ
【来館時の注意】
- 軽度でも発熱や咳の症状がある人は入館を避けてください
- マスクを着用してください