本年4月23日に鞆町明圓寺(みょうえんじ)の銅鐘が、袴腰付鐘楼(はかまごしつきしょうろう)とともに市の重要文化財に指定されました。
銅鐘は1644(寛永21)年に鋳造(ちゅうぞう)され、鞆奉行が寄進しています。龍頭(りゅうず)の横に旗挿(はたさし)が付き袈裟襷文様(けさだすきもんよう)の中に仏像や唐草文の装飾を施すなど和鐘(わしょう)と朝鮮鐘(ちょうせんしょう)の特徴を合わせ持つ銅鐘です。
全国の寺院の梵鐘(ぼんしょう)は過去に2度の存続の危機にさらされています。1度目は1853(嘉永6)年の黒船来航の時です。西洋列強の脅威に備えるため、1855(安政2)年3月、幕府は銃砲への改鋳をもくろみ全国の寺院に梵鐘の提供を命じ、福山藩では積極的に実施しています。
2度目は太平洋戦争です。戦争が拡大するにつれて武器生産に必要な金属資源は不足していきました。政府はそれを補うため、1938(昭和13)年に金属類の回収を呼びかける声明を発表。1941(昭和16)年には金属類回収令を出し、官公署、職場、家庭の区別なく根こそぎ回収していきました。
寺院も対象となり、中でも梵鐘は回収の筆頭にあげられました。市内でも歴史的名器として回収免除の嘆願書を広島県知事に提出する寺院もありましたが,全国の梵鐘のうちおよそ80~90%が供出されたといわれています。
この2度の供出を免れ、今も市内に残る江戸時代の梵鐘は10口のみで、明圓寺銅鐘は鐘楼とともに鞆の歴史を今に伝える貴重な文化財です。
明圓寺鐘楼北西面
銅鐘
銅鐘の龍頭と旗挿
銅鐘に鋳出された仏像
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