福山城本丸広場の北西に「八方にらみの松」と呼ばれている松があります。どの方向から見ても形が美しいという意味で「駒廻の松(こままわしのまつ)」とも呼ばれています。
その傍らに石碑が建ち、表面に「是松(このまつ)、曾(かつ)て舊(きゅう)藩主阿部正倫公(あべまさともこう)が得、之(これ)を賞(め)で親しむ後、石井俊蔵(いしいとしぞう)、土肥甚吉(とひじんきち)、二氏の所有に属し、于茲(ここに)に植え令(し)む。添石(そえいし)、即ち蓑島(みのしま)の産、阿部家の贈る所なり」という松の「いわれ」と、裏面に「明治三十四年十一月天長佳節(てんちょうかせつ)の日に植える」と刻まれています。
碑文によると「この松は、かつて福山藩主であった阿部正倫公の所有で、鑑賞し親しんだ後、石井俊蔵・土肥甚吉の2氏の所有となり、明治34(1901)年11月3日にここに植えた。添石は蓑島(現箕島)産で阿部家から贈られた」との来歴が記されています。
寺社奉行、老中を務め、藩校弘道館を創設した阿部家第4代藩主阿部正倫ゆかりの松として大切に守られてきた貴重な松です。
また、この松から南へ20m離れたところに「イヌマキ」という樹があります。成長が遅いと言われていますが、目通り周囲が約2mあり、樹齢は八方にらみの松よりも古いと推定されています。本丸御殿の庭木として植えられていた可能性が考えられます。
この2本の樹は害虫被害や伐採、福山空襲による戦火を免れ、福山の歴史を見守り続けてきました。史跡福山城跡を構成するものは建物や石垣だけではなく、こうした樹木も重要な要素です。
阿部正倫公ゆかりの松
イヌマキ
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