今も時を告げる 福山城鐘櫓
江戸時代から現在まで、絶えず時を知らせ続ける鐘が福山城にあります。明確な建築年代は不明ですが、本丸西側の多聞櫓に設置された鐘楼でした。
鐘は2階につるされ、城下や近隣諸村に2時間ごとに時を告げ、併せて半時(1時間)を知らせる太鼓も備えていました。また緊急時には、武士を招集する役目も果たしていました。
最初の鐘は神辺城内の鐘楼から移したと言われ、その後、亀裂が生じるたびに取り替えられました。その中には鞆要害番所に掛けていたもの、福山藩儒学者の山室如斎や菅茶山の銘のある鐘もあったと伝えられています。井伏鱒二も「鐘つき男」と題する小説の中で「備後国福山の城内に、時の鐘を上手につく菊之丞という名人がいて、鳥をびっくりさせないように鐘をつくことができた」と紹介しています。
明治以降、鐘楼に連なっていた多聞櫓は取り壊され、昭和初期まで改変を受けました。一方で柱や梁などの主体部は古材のままであったため、1979(昭和54)年に昔の姿に修復され、鐘楼部分のみ「福山城鐘櫓」として市重要文化財に指定されました。屋根はもともと檜皮葺(ひわだぶき)か杮葺(こけらぶき)でしたが現在は防災上、銅板葺になっています。
1985(昭和60)年まで、人の手によって鐘がつかれていましたが、今は自動鐘つき装置により1日4回鐘が鳴り響き、人々に時間を知らせています。来年はいよいよ築城400年の時を告げます。
市重要文化財 福山城鐘櫓
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