福山城東側の威容を語る 東坂三階櫓(やぐら)跡と多聞櫓跡
東坂三階櫓(外二番三重御櫓)は二之丸東側のほぼ中央に建てられた三重の櫓です。その西側には神辺城から移したと伝わる二重の鹿角菜櫓(外一番二重御櫓)があり、その間に東上り楯門(東揚楯御門)が設けられていました。
三之丸から東坂を上って北に曲がると東上り楯門があり、厳重な守りの構造である升形を通って二之丸へと続きます。今はこの二之丸広場に初代藩主水野勝成の銅像が建っています。
東坂三階櫓と北の鬼門櫓(外三番三重御櫓)との間には二階付きの多聞櫓(渡櫓)が連なっていました。多聞櫓は石垣の際に長く続く壁面で敵を食い止める役目があり、当時の築城術では最も厳重な構えでした。福山城の多聞櫓は総延長が291間(約573m)余りにも及び、大坂城や名古屋城、江戸城といった幕府系の大城郭や熊本城、姫路城に次ぐ全国有数の規模を誇りました。普段は主に倉庫として使用されていました。
これらの櫓は1873(明治6)年の廃城令以降に取り壊されました。その後、その周辺には東坂路の敷設や民家建築、畑の造成などが行われ、改変されました。
現在は発掘調査の成果に基づき、後世の盛土を可能な範囲で取り除き、往時の美しい石垣の姿に近づける整備を進めています。
※( )内の名称は阿部家時代の絵図に描かれている名称
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