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スーパーボランティアとして知られる尾畠春夫さんは2022年7月、西日本豪雨の被災地・広島県を訪問。小学生の女の子との再会を果たしました。
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4年前の豪雨被災地・広島へ
2018年に発生した西日本豪雨では広島県全体で151人が亡くなり(災害関連死含む)、5人が今も行方不明です。
6日、坂町で行われた追悼法要には、スーパーボランティアとして知られる尾畠春夫さんの姿が…
被災地を元気づけてほしいというボランティア仲間の求めに応じて、駆けつけました。
◆尾畠春夫さん
「皆さんと一緒にご供養ができたことを私は誇りに思っています。本当にきょうはありがとうございました」
ボランティアをさせてもらって一番大変と思ったことは1つもない
2018年、尾畠さんは災害発生直後から広島県の被災地で支援に汗を流しました。
山口県で、行方不明になった男の子を救助したのもちょうどこのころ。
世間から注目される中、呉市の天応小学校の校庭で車中泊を続けながら、黙々と活動を続けました。
追悼法要前日の7月5日、尾畠さんは再び天応小学校を訪れました。
◆子供
「好きな言葉はありますか?」
◆尾畠春夫さん
「人にやさしく、己に厳しく」
◆子供
「ボランティアをする中で、一番大変だったことは何ですか?」
◆尾畠春夫さん
「いい質問ですね。ありがとうございます。今までおいちゃん、ボランティアをさせてもらって一番大変と思ったことは1つもないです」
元気になるきっかけをもらった女の子
子どもたちの質問に答える尾畠さん。その言葉を熱心に書き記す一人の女の子が…
5年生の谷侑奈さんです。
◆谷侑奈さん
「誰かが困っていたら、その人のためになってあげたい」
2018年の豪雨では自宅に濁流が押し寄せ、被災した侑奈さん。
そんなつらいときに、尾畠さんと出会い元気になるきっかけをもらいました。
それ以来、交流が続いています。
侑奈さんは2021年、尾畠さんが呉市を訪れた時にメッセージを書いてもらったランドセルを大切にしています。
当時の侑奈さんの喜びについて、母・美侑季さんは次のように話してくれました。
◆侑奈さんの母・谷美侑季さん
「『ランドセルにじかに書いて欲しいと言ったんよ』と(娘が)嬉しそうにランドセルを抱えて帰ってきた」
ただ、このランドセルは「ラン活」をして手に入れたというとっておきのもの。美侑季さんはランドセルに直接メッセージが書かれているのを見て、驚いてしまったそうです。当時を思い出し、苦笑いしていましたが、侑奈さんが「すごい喜んでいたのでよかった」と振り返っていました。
受け継がれる“人のために尽くす”精神
自宅に来てくれた尾畠さんに侑奈さんは手紙を手渡しました。
◆手紙を読む尾畠さん
「尾畠さんに会えて嬉しいです。おばたさん、大好き大好き大好きです。ありがたいなあ~」
◆谷侑奈さん
「ずっと元気にいてほしいです」
◆尾畠春夫さん
「おいちゃんは元気でいっぱい長生きするよ。天応のことは忘れない。時々ゆうなちゃんに会いに来ます」
被災地との交流を続ける尾畠さん。
人のために尽くすという気持ちは子どもたちにもしっかりと伝わっているはずです。
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2018年7月、西日本豪雨が発生した直後に尾畠さんは広島県呉市天応地区に支援に駆けつけました。8月に一旦、日出町の自宅に戻ってきた際に、私は尾畠さんとお会いして話をしました。その時は「また広島にボランティアをしに行く」と話していましたが、3日後、取材中の私に後輩の記者から連絡が…それは山口県で行方不明になった男の子を尾畠さんが無事救助したというものでした。尾畠さんは広島県ではなく、急きょ山口県へと向かっていたのでした。
それから尾畠さんは一躍時の人に。生活は一変しましたが、それでも再び広島に赴いて支援に汗を流しました。当時、車中泊をして拠点としていたのは天応小学校の校庭です。そこで当時小学1年生だった谷侑奈さんと出会いました。侑奈さんは豪雨により自宅が被災。天応地区から離れて生活せざるを得なくなり、母・美侑季さんによると、当時の侑奈さんは「天応に戻るのが怖い」と言っていたという事です。しかし、尾畠さんとの出会いをきっかけに「天応に早く戻りたい」と言うようになったと言います。その後、侑奈さん家族は同じ場所に自宅を再建し、尾畠さんも何度かサプライズで訪れました。