鉄壁の防御の構え 福山城天守北側鉄板張り
福山城天守の北側壁面には最上階を除いて鉄板が張られていました。その目的は風雨への備えとともに、天守の位置が城郭内の北側に寄っているため、外部から直接天守が攻撃されることへの備えでもありました。
鉄板張りを記録した史料のうち1698(元禄11)年の「備後福山之覚書」(池田家文書)が最も古く、水野家が藩主だった時代には天守の壁面に鉄板が張り付けられていたことが分かります。
鉄板は幅11·3cm、長さ130cmを基本とする縦長の板を横に並べ、上下に重ねる「羽重ね」という留め方で取り付けられていました。丸い鋲頭(びょうとう)が付いた鉄釘で打ち留められており、板の左端とそこから一段落とした中央に打つことで、鋲頭が斜めに並んで見えます。また天守の東西面の北端にも見切りのための鉄板が張り付けられていました。
北側壁面の鉄板張りは全国の天守の中でも極めて特殊なもので、他に類例がありません。
今回の令和の大普請では、古写真や寄贈を受けた鉄板、他城の事例を参考に表面の質感や鋲頭、上下の重ねなど、最新の研究成果を基に往時の姿に近付くよう復元的整備を行いました。なお建造物の安全性に配慮して、現代の素材や工法を採用しています。
寄贈を受けた鉄板は現代の工法による複製品と共に福山城博物館に常設展示します。
<福山城天守北側>旧天守礎石跡より望む
<天守北側鉄板>鋲頭が斜めに並ぶ
このページに関するお問い合わせ先
文化振興課
084-928-1278