【TSS】
8/12(金) 19:11 掲載
広島の頑張る人を応援するコーナー。備後地方の特産品を後世へつなぎます。日本の住宅に欠かせなかった「畳」。その技術と文化の継承が新たな展開を見せています。
5月末の福山市本郷町に青々と緑が広がる田んぼがありました。
これらは、イグサ。畳の原料になる植物です。
そんなイグサの田んぼで作業をしていたのは、畳表の製造卸売業を営む佐野商店の佐野達哉さん。いったい何をしているんでしょうか?
(佐野達哉さん)
「網をあげる作業です。イグサがどんどん伸びてくるので、そのイグサが倒れないようにかけた網の位置をあげています」
成長すると170センチ程になり7月上旬に収穫されるイグサ。備後地方は、日本屈指の高級畳表の産地なんです。しかし、イグサ栽培は今、存続の危機に直面しています。
(佐野達哉さん)
「福山市では企業が2社、農家さんが福山と三次で2件のみでイグサを栽培しています」
十数年前には福山市内の生産者が0になったこともありました。そんな備後イグサの存続に向け立ち上がったのが、佐野さんの父親、良信さんでした。
(佐野達哉さん)
「備後表は国宝や重要文化財に重宝されますので、流石に産地の福山市に農家がゼロなのはまずいということで栽培を始めたそうです」
良信さんが手がけたのは、イグサ栽培だけではありません。畳表の生産に使われる機械、織機の再生も行ったのです。
(佐野達哉さん)
「動力織中継六配表という織機で、六配というのは幅の広い畳表で、最高級品としての畳表が織れる織機ですね」
通常の畳表は端から端まで1本のイグサで織りますが、中継という織では、2本のイグサを真ん中で継ぎます。この「中継」は、備後地方が発祥なんです。
(佐野達哉さん)
「イグサの長い良いところだけ使えるので、青さも端から端まできれいな畳表が織れますので、それも含めて最高級品といわれていますね」
その織り方の難しさや、仕上がりの美しさから、「中継」の備後表は、宮城県の瑞巌寺といった国宝や重要文化財などに使われています。
そんな備後表の存続に力を注ぐ佐野さん。今は心強い協力者がいます。
佐藤圭一さん。福山大学工学部建築学科の教授です。佐野さんと佐藤さんは、2018年、畳の生産に関わる人たちと共に「備後表継承会」を設立。備後イグサによる備後表の保全と継承を目的に活動を始めました。
その背景には、佐藤さん危機感があります。
(福山大学・佐藤圭一教授)
「先代や今の佐野さんが、もしかしたら5〜6年前に備後表がなくなってたというところまで行っていたのではないかと。備後表がなくなるというインパクトは日本の国産の畳表がなくなるくらいのインパクトがあって、もっと言えば日本の畳文化がなくなってしまうんじゃないかというところまで行ってたと思います」
そこで佐野さんは、「福山大学備後地域遺産研究会」を立ち上げ、学生と共に、イグサの栽培から建築施工まで全プロセスの保全継承に取り組み始めました。
農家の倉庫にあった織機を再生して改良し、動く状態で保存。そのプロセスも記録に残しました。
さらに、手で織る中継表の織機も製作。組み立て図なども残しています。
もちろん、こうした織機を使って畳も作っています。その作った畳を設置したのがこちら。
(佐野達哉さん)
「ここは育志菴といって福山大学未来創造館の茶室になります。職人さんたちに指導してもらいながら学生たちが大学の織機で織った中継ぎの畳表です。自分たちでイグサを栽培するところから関わらせていただいて、我々建築学科なので建築まで持って行けたのは非常に感動しています」
イグサの栽培から、畳表の製造まで、研究を続けてきた学生たち。建築に携わる人が畳を知ることで、畳文化が広がることを佐藤さんは期待しています。
(福山大学・佐藤圭一教授)
「今、畳の中国産は8割を占めていて殆ど輸入に頼っています。国産がいつなくなってもおかしくないような状態になっていると思います。備後表というブランドは絶大なものがありまして、業界にとっても備後表を守るということが日本の国産の畳表を守ることにつながって、ひいては日本の建築文化の核心でもある畳文化そのものを、備後表を守ることによって残すことができるのではないかとおもっています」