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【radichubu.jp】発祥の欧米ではタテ型の信号機。日本に横型が多いのはなぜ?/2022.10.29

【radichubu.jp】

2022.10.29

CBC論説室の北辻利寿特別解説委員が、様々な日本での最初の出来事を物語る、『多田しげおの気分爽快!!~朝からP•O•N』(CBCラジオ)の「日本はじめて物語」のコーナー。

10月26日放送の日本はじめて物語は「信号機」です。

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イギリスからアメリカへ

北辻「元々イギリスのロンドン。19世紀半ばに馬車の交通整理のために、赤と緑の2色の信号機が登場しました」

ロンドンと言えばガス灯。信号機の燃料もガス。このガスの信号機、ガス爆発を起こしてしまってロンドンの町から姿を消してしまったそうです。

20世紀に入って1920年、アメリカで世界初の電気を使った信号機が作られました。
この時に黄色が追加され、今も見られる赤黄緑3色の信号機が完成したのです。

アメリカから日本へ

日本では1923年(大正12年)に関東大震災が起こりました。
1930年(昭和5年)、復興した東京の街に自動で色が切り替わる信号機がアメリカから輸入されました。アメリカの信号機は縦型。上から赤、黄、緑。

初めて日本で信号機が設置されたのは東京の日比谷交差点だそうです。
その次は銀座と、人通りの多いところに設置されていったそうです。
東京から一気に全国に広がった信号機は、やがて日本独自の開発技術によっていろんな工夫がされていくことになります。

東京に、日本で初めて設置された1ヶ月後、京都で独自の進化を遂げた信号機が登場しました。その信号機は横型だったのです。

京都は看板や街路樹が多くて、縦型だと上にある赤信号が見え辛かったことがその理由。
横型にすることで、道の方に飛び出して、よく見える位置になりました。
現在の日本の信号機の原型は京都で誕生していました。

ただし雪国では、積もった雪が故障の原因になるため、縦型の信号機が多く設置されているようです。

人用と車用

1934年(昭和9年)には、「押しボタン式信号機」が開発されました。
横断歩道のある道路で、車の通る側は青、横断歩道は赤。
歩行者が横断歩道を渡る時にボタンを押すと、車道が赤になり、横断歩道が青になって渡れるというものです。

次に「音響信号機」。目の不自由な方が安心して渡れるように音が鳴る信号機で、1955年(昭和30年)に初登場したそうです。

続いて開発されたのは「感応式信号機」。
押しボタン式は歩行者が渡るためのものでしたが、これは車のための信号機です。

大通りと交差する細い道のある交差点では、普段は大通りの信号は青に。細い道は車が少ないので赤になっている場合があります。
細い道に車が来ると、信号機に設置されたセンサーが自動的に車を感知して、青になるというものです。

電球からLEDへ

北辻「最近、街でよく目にするのがLED、発光ダイオード式信号機。ちょっとスリムな信号機が増えてますよね」

それまでは、赤黄緑の部分に大きな電球が1個ずつあったのが、小さなLED電球の集合体になりました。
それまでの電球の寿命は半年から1年だったのが、LEDは6~8年と長いこともメリット。

北辻「LEDの良さは光のムラがなくて見やすいこと。太陽の逆光にも強いため、電球の信号機ではあった庇(ひさし)がありません。」

信号機がスリムに

またLEDを使用することで信号機自体が薄く小型化され、風の影響を受けにくくなりました。特に台風の多い日本では大きなメリットです。

全国で20万機以上ある信号機のうち、現在ではその6割がLEDに切り替わっているそうです。

最後にこうまとめた北辻委員。

「『焦ってる 今があなたの 赤信号』こんな交通標語もあります。信号機は交通整理をしながら人々の命を守っています。信号機はじめて物語のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが、安全運転という名の青信号でしっかりと刻まれています」
(尾関)

多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N

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2022年10月26日07時40分~抜粋


 

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