伊勢神宮での出来事

伊勢神宮の近くで講演を頼まれた際、講演がはじまる前に知人たちと4人で詣でたときのことです。

 拝殿で1分間ほど手を合わせ、帰ろうとしたとき、拝殿に掛けてあった白い布(とばり)が、持ち上がったのです。

風が吹いていたわけではありません。まわりの木々を見渡しても、まったく揺れていません。

それなのに、90度くらいまで、金属板のようにまっすぐ固まったまま、スーっと上がりました(1分間ほどその状態が続き、布が下りるときも、鉄板のようにまっすぐになりました)。

不思議なこともあるもんだな」と思い、伊勢市の講演会でお話をしたところ、伊勢市の方が、こんなことを言っていました。

ダライ・ラマ氏が伊勢神宮を訪れ、手を合わせて帰ろうとしたときにも、同じように布が上がったそうです。霊的な力を持っている人が参拝をした場合、白い布が上がることがあるようです。ですが、今まで90度上がった例は聞いたことがありません。神様から祝福されたのかもしれませんね」

神社は「ありがとう」を伝えるところ

この一件は、私たち4人が霊的にすぐれていた、という話ではありません。私たちがそうだったように、「誰でも、神の祝福を受けることができる」のです。

 じつは、神社というのは、「お願いごと」をしに行くところではなく、「感謝」をしに行くところです。

私たち4人が伊勢神宮を詣でたときも、誰ひとり「お願いごと」はしませんでした。1分間、ただひたすら「ありがとう」を言い続けたのです。

そもそも「祈り」の本来の意味は、「意」に「宣」と書き、「意宣り」であり、「意のままに沿う」こと。

つまり「あなたの仰せに従います。あなたが望むように生きています。ありがとうございます」という意味でした。

そして「願い」は、「ねぎらい」が語源です。「ねぎらい」とは、「希望を叶えてください」ではなく、「よくしてくださってありがとうございます」と感謝することでした。

「祈り」も「願い」も、「夢や希望を叶えてもらいたいとき」に使う言葉ではありません。どちらも、神や仏に対して、

「すでに、たくさんの恵みをいただいています。ありがとうございます」

と感謝を伝える言葉なのです。

神社は、「○○○をしてください」「○○○を叶えてください」とお願いをするところではありません。

「今の自分がいかに恵まれていてありがたいか」を「感謝しに行く場所」ということになります。

ただ自分が生かされていることに感謝し、手を合わせて「向こう側」に伝えることで、神様を味方に付けることができるようです。