菅茶山の足跡を訪ねて(1)龍泉寺桜
菅茶山(1748~1827)は備後国神辺の教育者で、江戸後期を代表する漢詩人としても有名です。
農村の風景や人々の営み、交友、紀行詩など2,400首余りを集めた茶山の漢詩集「黄葉夕陽村舎詩」は当時のベストセラーとなり、「当世随一の漢詩人」と絶賛されてその名は全国に知れ渡りました。宋詩に学び、詩材を身近な日常生活の中に求め、実景を写し、自分が見たまま、感じたままを日本人の感覚で表現したことで大衆に受け入れられたのです。
生涯神辺を拠点にした茶山は、日頃は近隣の学僧や藩士、文人、医師たちと交流し、郷土を題材にした詩や記録を残しています。
今月号からゆかりのある地に建立された詩碑やエピソードなどを紹介し、茶山の人物像に迫ります。
「龍泉寺桜」
老樹移来幾百春
年年麗艶占芳辰
林東有墓生苔蘚
會是花前闘酒人
【要約】桜の老樹を移し植えて何度春が過ぎたであろうか。年々美しくあでやかに、この春をほしいままに咲き誇っている。林の東には墓があり、コケが生えている。かつて生前には、よくこの花の前で酒を酌み交した友であったのに。
神辺城跡北麓の帰谷にある龍泉寺の境内には、奈良県の興福寺から接木として持ち帰った「車返しの桜」と呼ばれる古木がありました。今はなき花の下で、亡き友を偲ぶ茶山の姿が目に浮かびます。
<龍泉寺にある菅茶山詩碑>
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