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瀬戸内の水運1 松永湾を見守る首長の墓

沼隈半島は瀬戸内海のほぼ中央に位置しており、その東西の沿岸では「みなと」がそれぞれ発展しました。東側では津宇の港※の周辺に集落が形成され、潮待ちの港として東西交流が盛んに行われていました。一方、西側の松永湾も天然の良港でした。
松永湾は塩田として干拓される前、きれいな円弧を描いていました。湾の北端と西端は、現在の国道2号あたりがおおよその海岸線と考えられています。潮の満ち引きが激しい海域ですが、南西にある湾口は狭く、穏やかな湾内であったと想像できます。
古墳時代には、松永湾を見下ろす丘陵上にさまざまな大型の古墳が築かれました。塩を生産し湾を治めた首長の墓と考えられており、湾内を行き交う船に威容を誇っていました。
その中の一つ、県史跡松本古墳は湾の北北東、両脇を川に挟まれた見通しのいい丘陵の先端に造られました。直径約65m、県内最大の円墳です。近年の調査によって葺石(ふきいし)が敷き詰められており、湾口の戸崎瀬戸方向に造出(つくりだし)があることが判りました。当時湾内に船を進めた人々は、波の奥に光る古墳に魅了されたことでしょう。さらに近付くと、造出で祭祀(さいし)が行われているのを見たかもしれません。
中世以降、沼隈半島の東側では芦田川の堆積が進み、港の中心は南の草戸千軒町遺跡に移ります。松永の港も遠浅となり衰退しますが、江戸時代に入ると福山藩の主要な産業として塩田が築造されるようになります。

※津宇の港…津之郷谷に広がる低湿地

おおよその海岸線

松本古墳図面

松本古墳調査図

円筒埴輪

造出部の円筒埴輪出土状況(上部は失われている)

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