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【SUUMO】神勝寺では“うどんを食う”も禅体験に! 建築や庭などすべてが「禅」のミュージアム 広島県福山市

【SUUMO】

2022年6月24日 (金)

近年、世界的にも注目を高めている“禅”。精神を統一して真理を追求する仏教・禅宗の教えが広まったことで、日常生活にも取り込まれていきました。高尚で精神的なものをイメージしてしまいがちですが、禅の教えを楽しみながら、五感で体験できるミュージアムがあることをご存知でしょうか? 広島県福山市にある「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、広大な境内に点在する建築物を巡りながら、禅の教えに触れる体験ができると聞き、実際に体験した様子をレポートしたいと思います。

あの有名建築家の建築も! 建物自体が展示作品

境内全体図(提供:神勝寺)

境内全体図(提供:神勝寺)

緑豊かな山道を登った先に見えてくる総門をくぐると、建築史家・建築家 藤森照信氏が設計した寺務所、「松堂」が出迎えてくれます。
屋根に植えられた松の木は、藤森氏が「禅と縁の深い」木として選んだもの。もちろん、勝手に生えてきてしまったのではなく、デザインされた外観なんです。
藤森氏といえば、屋根にタンポポを植えた自邸の「タンポポハウス」や故・赤瀬川原平邸「ニラハウス」をはじめ、建築に直接植物を植えるデザインに繰り返し挑戦しています。

「松堂」外観。 面で構成された外観は現代的でありながら、屋根比率の大きなデザインなど古建築の要素も随所に見られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「松堂」外観。
面で構成された外観は現代的でありながら、屋根比率の大きなデザインなど古建築の要素も随所に見られる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松が屋根に植えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

松が屋根に植えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一見すると突拍子もないおふざけのようにも見えてしまいますが、実は「芝棟」と呼ばれる屋根から植物を生やした日本古来の住宅形式に着想を得たもの。それもそのはずで、藤森氏は建築家でありながら、建築史家として長年古建築の研究に携わってこられました。
松堂に植えられた松は、自然と共に生きてきた日本人の知恵を、現代に蘇らせたデザインなんです。
軒下の天井と壁を一体化させた継ぎ目のない漆喰による面のつくり方も、日本古来の手法を現代的に再解釈したデザイン。新しくもありどこか懐かしい温かみを感じる藤森氏の建築は、温故知新を体現するミュージアムに来訪者を招き入れるゲートの役割に、これ以外ないと思わせるバランスで応えていました。

軒を支える列柱も、一本一本形状の異なる木材を用いる伝統的な手法(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

軒を支える列柱も、一本一本形状の異なる木材を用いる伝統的な手法(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然と共にある庭も禅への入口

松堂の眼前に広がる「賞心庭」は、作庭家・中根史郎氏が手掛けたもの。池の周りを巡り楽しむ回遊式の庭園で、四季折々の草花を愛でることができる見どころが随所に施されています。
この池を挟んで松堂と正対するように立っているのが茶房「含空院」。こちらはもともと滋賀県にある永源寺より移築されたもので、築350年以上の歴史をもった茅葺きの建築です。維持管理の手間がかかる茅葺きですが、美しく保たれているのが印象的です。含空院では庭園を眺めながらお茶や甘味をいただくことができます。
神勝寺には含空院のほかにも、年代も様式も用途もバラバラな多くの建物が各地から移築され境内に点在しています。「神勝寺 禅と庭のミュージアム」は、もともと臨済宗の寺院として築かれていた境内に、含空院をはじめいくつかの建築を移築し、また新たな建造物を建ててオープンしました。
寺院建築では他の寺院から建造物を譲り受け、移築すること自体は昔から行われてきましたが、これだけたくさんの建築物を移築し、また新築して境内全体を刷新するのはあまり例のない試みといえるでしょう。庭や美術作品のほか、建築物も含めて禅の体験を提供する「ミュージアム」というコンセプトだからこそ、建物自体もミュージアムを構成する作品の一部として、様式や宗派といった個々の建築が有する背景と矛盾なく同居させることが可能なのかもしれませんね。

自然そのものと、デザインされた植栽・建築が見事に調和した「賞心庭」(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然そのものと、デザインされた植栽・建築が見事に調和した「賞心庭」(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

含空院の縁側からは、賞心庭の全景を見通すことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

含空院の縁側からは、賞心庭の全景を見通すことができる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

永源寺では歴代の住持の住まいだった含空院は茶房に用途を変えて来訪者を迎える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

永源寺では歴代の住持の住まいだった含空院は茶房に用途を変えて来訪者を迎える(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

25分のインスタレーション作品で禅を体験

賞心庭から松堂の脇を抜け坂を登っていくと、多宝塔が見えてきます。そこからさらに歩を進めると、神勝寺最大の目玉ともいえるアートパビリオン《洸庭》が出迎えてくれます。
彫刻家・名和晃平氏率いるクリエイティブ・プラットフォーム、Sandwichが制作した《洸庭》では、約25分間の禅をテーマにしたプログラムが用意されています。

右手に見える多宝塔の屋根からは相輪が延びる。宗教建築のパターンを踏襲したデザイン(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

右手に見える多宝塔の屋根からは相輪が延びる。宗教建築のパターンを踏襲したデザイン(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

洸庭の周囲にも広大な庭園が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

洸庭の周囲にも広大な庭園が設えられている(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

係員の誘導に従って一連のプログラムを体験することで、誰でも禅のエッセンスに触れることができるアート作品です。このように作品として体験する空間や場所はインスタレーションと呼ばれ、現代アートの表現ジャンルとして発展してきました。
お寺にアート作品? と意外な気もしましたが、よくよく考えてみると、古くからお寺は芸術が生まれ、人々の目に触れる場として機能してきました。博物館で観ることのできる美術品にも、お寺でつくられ、使われていたものが多く展示されています。いまの時代であれば現代アートがお寺に展示制作されることは、むしろ自然な流れといえそうです。
《洸庭》は内部のインスタレーションはもちろん、建築としても見応え十分。広い庭に舟形の建物が浮かぶように立つ様子からは、浮世離れした印象を受けますね。建物全体を包むように、伝統建築の屋根に多用されてきたこけら葺きと呼ばれる技法で木材が施されており、全体のプロポーションとも相まって巨大なお堂のようにも見えます。船を模した造形は、ミュージアムの運営母体である造船会社から着想を得たデザインで、インスタレーションの内容とも連動しているんです。

船底に潜り込むように作品の中へ(Photo :Nobutada OMOTE | SANDWICH)

船底に潜り込むように作品の中へ(Photo :Nobutada OMOTE | SANDWICH)

特定の用途のために建てられる建築も、多様な使われ方を想定してある程度融通の利くように設計されるのが一般的です。ここでは、一つのインスタレーション作品の体験の場を創出する目的のみに特化することで、独創的なデザインを実現しています。

うどんをすする禅体験? 修行僧のごちそうをいただきます

お昼時には「五観堂」に立ち寄りましょう。ここでは、普段は食事も修行の一環として厳しく制限されている修行僧・雲水にとって一番のごちそうである、湯だめのうどんをいただくことができます。
ただうどんを食べるだけではないのが神勝寺の面白さです。ここにもまた禅の教えに触れる工夫が。
配膳を前に、食事の作法を教えてくれます。本来であれば食事中ですら音を立ててはいけない雲水も、うどんを食べるときだけは豪快にうどんをすすり音を立てて食べることが許されているのだそうです。
厳しい修行における束の間の解放感、その疑似体験を通じて、雲水の修行に思いをはせることが禅を体感する足掛かりになるなんて不思議ですね。

うどんがゆで上がるのを待つ間、雲水の食事作法を聞かせてもらう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

うどんがゆで上がるのを待つ間、雲水の食事作法を聞かせてもらう(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

太くコシの強い神勝寺うどん(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

太くコシの強い神勝寺うどん(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

五観堂からさらに先へ進むと、「秀路軒」、その先には「一来亭」が見えてきます。どちらも茶室・数寄屋研究の泰斗である中村昌生氏が携わり再現/復元された茶室。いずれも千利休に縁のある建築で、合わせて見学することで利休の追求した美の一端に触れることができます。

表千家を代表する書院「残月亭」、茶室「不審菴」を、古図を手掛かりに中村昌生氏の設計で再現した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

表千家を代表する書院「残月亭」、茶室「不審菴」を、古図を手掛かりに中村昌生氏の設計で再現した(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一来亭の奥には一頭のロバが飼育されています。その名も一休。禅宗において門弟のことを目の見えないロバ、瞎驢(かつろ)と呼ぶことからロバは禅宗と縁の深い動物なのだとか(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

一来亭の奥には一頭のロバが飼育されています。その名も一休。禅宗において門弟のことを目の見えないロバ、瞎驢(かつろ)と呼ぶことからロバは禅宗と縁の深い動物なのだとか(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

庭園にも美術品にも潜む禅の思想

それらを後にしてさらに登っていくと一気に視界が開け、広大な枯山水庭園が広がる頂上へと到達します。この庭園は「足立美術館」の庭園作庭などで知られる中根金作氏によるもの。総門からここへたどり着くまでに仕掛けられたさまざまな工夫と対比されるように、要素が限定され白い砂利が一面に広がる空間に身を置くと、邪念が吹き飛び心が洗われるよう。「禅と庭」をテーマにしたミュージアムのクライマックスにふさわしい庭園空間です。賞心庭を手掛けた中根史郎氏は息子でもあり、境内を上下に挟むように親子共演を楽しむことができるようになっています。

枯山水庭園「阿弥陀三尊の庭」と鉄筋コンクリート造の「荘厳堂」が美しく調和する(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

枯山水庭園「阿弥陀三尊の庭」と鉄筋コンクリート造の「荘厳堂」が美しく調和する(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然との調和を図る賞心庭とは対照的に、人為的な印象を強く受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

自然との調和を図る賞心庭とは対照的に、人為的な印象を強く受ける(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

また荘厳堂に展示される禅画・墨跡は《洸庭》と並ぶミュージアムのもう一つの目玉。その中心は江戸時代中期に臨済宗を中興した禅師白隠のコレクションで、ユーモアも交えた魅力的で多彩な作品が展示されています。誰もがその写真を見たことのあるような有名な作品を、その思想の発信基地である臨済宗の寺院で鑑賞できる貴重な体験です。

約200点にのぼるコレクションから定期的に展示が入れ替えられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

約200点にのぼるコレクションから定期的に展示が入れ替えられる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

全身で体感し、持ち帰る禅体験

本堂から階段を下りる視線の先には、建物一つ見えない自然豊かな景色が広がっています。人里離れた静かな境内で、草木に囲まれて自然の声に耳を澄ますのもまた禅との接点になっているんです。
こうして建物を見て歩き、境内を巡るだけでも、禅の思想を頭ではなく、楽しみながら体で体験することができるのがこのミュージアムのすごいところ。ほかにも写経や坐禅体験のプログラムも用意されていて、訪問者の時間に合わせた禅体験ができるようになっています。
ひと通り回った後は、浴室で汗を流しましょう。ここでは入浴中に口に含むための飴玉が配られます。口内の飴玉に意識を集中させることで雑念を振り払う、瞑想の訓練としての飴玉なんです。

「阿弥陀三尊の庭」からの見下ろし。緑豊かな自然に包まれるだけでも心身ともにリフレッシュできる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「阿弥陀三尊の庭」からの見下ろし。緑豊かな自然に包まれるだけでも心身ともにリフレッシュできる(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内省を促すように照明が抑えられた浴室(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

内省を促すように照明が抑えられた浴室(写真撮影/ロンロ・ボナペティ)

「神勝寺 禅と庭のミュージアム」では、大掛かりなインスタレーションアートから、うどんの食事や入浴といった日常生活と地続きのものまで、さまざまな場面を通じて禅の思想に触れることができます。
それは単にこの場所で禅の体験をするにとどまらず、日々の暮らしの中で禅を意識し、暮らしを見つめ直す第一歩となることを意図したもの。
禅の思想は最近ではビジネスの世界でも注目が集まっていますが、それ自体は臨済宗の教えからエッセンスを抜き出して、ビジネスへの活用を考えようとする動きです。素人目には、仏教の思想をそんなふうに都合よく扱って良いものだろうか? と思ってしまいますが、時代が変われば宗教の存在価値もまた変わっていくもの。むしろ積極的に日々の暮らしに役立ててほしいと、多様なプログラムが用意されていることに驚きました。
そしてそのプログラムを伝える媒体となる建築もまた、求められるニーズに合わせてアップデートされ、新しいデザインの可能性を切り開いていました。
禅と庭、そして美術と建築、これらが一体となった神勝寺は、建築好きあるいは美術好きでなくとも、新しい発見を得ることができる、皆に開かれたミュージアムでした。

●取材協力
神勝寺[

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