【集英社
2022.10.05
10月5日に11度目の命日を迎えたスティーブ・ジョブズ。彼には、生涯の師がいた。禅僧、乙川弘文(おとがわこうぶん・1938〜2002)。アップル社の思想に禅境の閃きを与えた人物である。若く無名時代のジョブズと弘文、とっておきの逸話を、『宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧』(集英社文庫)から一部抜粋・再構成してお届けする。
ジョブズが心酔した禅僧・乙川弘文とは
スティーブ・ジョブズは、生涯、禅修行を続けた人物だった。彼が、本格的に禅と出逢ったのは、1975年、20歳の時。大学をドロップアウトし、インドを放浪したものの、人生で何をすべきか探しあぐねていたジョブズは、シリコンバレーの実家近くにあった小さな禅堂を訪ねた。
ここでジョブズは、ひとりの日本人と運命的に出逢う。乙川弘文、曹洞宗大本山・永平寺から派遣された禅僧である。何事にも過剰なジョブズは、弘文と禅に急速にのめり込んでいく。
「スティーブは、10日に1度は真夜中までうちに入り浸っていたわ」
と、弘文の元妻は証言する。また、ジョブズとともにインド放浪2人旅をした親友は、
「あの頃のスティーブは、何かといえば『レッツ・ゴー・シー・コーブン!』。弘文に夢中だったね」
と述懐した。
自然体で自慢話などとは無縁だった弘文が、ジョブズについて言及することはめったになかったが、2人の関係を物語る貴重な法話ビデオが1本だけ残されている。1993年11月、ヨーロッパ、オーストリアにある山奥の禅堂で弟子が撮影したものだ。
弘文は、米カリフォルニア州を拠点に、全米各地やヨーロッパで布教活動をした。また、この頃の彼は、度重なるジョブズの懇願を受け入れ、カリフォルニアのジョブズ邸に同居していた。この時も、ジョブズ邸からサンフランシスコを経て渡欧したと思われる。
10名ほどのヨーロッパ人に囲まれたビデオのなかの弘文は、「悟りとはなんぞや?」というひとりの修行者の質問を受けて、独特の長い間(ま)のある口調で話し始める。法話に、スティーブ・ジョブズの名は出てこない。しかし、話に登場するポールがジョブズの養父で、養子がジョブズなのは明らかだ。
以下は、弘文が語った若き無名時代のスティーブ・ジョブズ、とっておきの逸話である。