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【中国新聞】村田兆治さんの生き方は、昔も今も私の憧れです✨

母校近大福山高校の大先輩である、元プロ野球選手村田兆治さんのインタビュー連載が、地元紙の中国新聞で始まりました。
村田兆治さんは近大福山の前身の福山電波高校野球部のエ―スとして、頭角を現しロッテに入団、若い頃からロッテのエ―スとして活躍しました。一時、ケガでブランクがありましたが、日本人のプロ野球選手としては、初めて肘にメスを入れて復活し、200勝を達成して名球会入りを果たしました。
独特なマサカリ投法は、今のNPBでは観られない豪快なピッチングでした。
苦難に正面から向き合い、新境地を切り開いてきた村田兆治さんの生き方は、昔も今も私の憧れです✨


<1> 人生先発完投 力を尽くしてやり通す

生きて 元プロ野球投手 村田兆治さん(1949年~)2021/10/26 9:24
「仕事を任されたら最後までやり通すのが完投」

「仕事を任されたら最後までやり通すのが完投」

人気のセ、実力のパと言われた昭和のプロ野球界。広島県本郷町(現三原市)出身の村田兆治さん(71)=東京都世田谷区=はロッテ一筋に、鬼気迫る全力投球で215勝を重ねた。マサカリ投法と呼ばれた豪快なフォームと右肘手術からの復活。そしてすさまじい勝利への執念はファンの心をつかんだ。時代は平成へと移り1990年、10勝を挙げながらエースとしての美学を貫き引退。記録も記憶も残した右腕は、いまもサインに「人生先発完投」と記す。

変化球主体の投球なら、まだ現役を続けられたかもしれない。でも、それでは私の考える村田兆治ではなかったんですよ。

広島・福山電波工業高(現近大福山高)から入団し、プロ生活23年。10度目の2桁勝利を成し遂げ、マウンドを去った

惜しむ声は多かったけど、完投数は前年の16から4に激減。自分の限界は自分が一番よく分かるからね。もう自分らしい投球ができない。ファンの期待を裏切る成績しか残せないかもしれない。そう思い、けじめをつけたの。

2年目のプロ初勝利。右肘の手術を乗り越えた1073日ぶりの白星。200勝、そして引退試合。節目の勝ち星は、いつも完投で飾った。引退試合は雨で五回コールドゲームになり、「完封勝利」で終わった。初勝利も完封だったしね。仕事を任されたら最後まで責任を持ってやり通す。それがプロとしての意地だし、自分のモチベーションを上げることにつながっていた。

信念とする先発完投。でもその意味は人それぞれ異なると言う

リリーフでも、代打でも、代走でも、チャンスを受け、与えられた仕事をやり通すのが「完投」ですよ。人は誰でも人生という大切なマウンドに立っている。簡単に降板するわけにはいかない。野球に限らず、日常の中で「先発完投」すべきシーンはたくさんあるんです。だから力の限りを尽くして、幸せな人生を完投してほしい。そのために私の経験が役に立つなら話しますよ。(この連載は東京支社・中橋一誠が担当します)


 

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