【goetheweb.jp】
2022.10.29
2022年9月に81歳を迎え、今も休みなくトップを走り続ける建築家・安藤忠雄。GOETHEは創刊以来16年間、安藤さんを追い続けてきた。今回、統括編集長の舘野晴彦が大阪に足を運び、安藤さんにとっての、80代の仕事人の在り方をインタビュー。短期集中連載「安藤忠雄が走る理由」。最終回は、大手術を乗り越えた安藤さんのプライベートの顔、そして、安藤さんの人生観に迫りたい。動画連載「2Face」とは……
安藤さんの病気との付き合い方とは
長年大きな病気にかかることがなかった安藤さんだが、68歳と73歳のときに大手術を経験している。そんな状況でも気持ちを落とすことなく病気と上手に付き合い、精力的に仕事に取り組んできた。
「これまで、大きな手術をたくさんしてきました。胆嚢、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓を摘出していて、臓器が5つ無いんです。5つ臓器が無かったら軽くていい。
20年くらい前は中国で建築のコンペをして負けていた。でもこのところ、10年くらいは連戦連勝なんです。
私を評価してくれる人に、『なぜ推して下さるんですか?』と理由を聞いてみたら、『胆嚢、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓がなくてこれだけ元気なのは縁起がいい』って言うんです。安藤さんより縁起がいい人がいますか? と。今、海外の案件では、台湾、韓国、中国、ベトナム、モナコ、モロッコ、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカと仕事をしています」
現在は元気な安藤さんだが、体調を崩してからは、1日1万歩歩いたり、昼食の時間はしっかり取ったり、休憩を挟むようにしたそう。そのときの状態に合わせた働き方が必要だと話す。
「手術をしてからは、昼食の後は1時間休憩をする。夕方6時まで仕事をしたら、ジムで身体を少し動かして、その後食事に行く。という形で身体も少し休めるようにしています。
状況に合わせて生きていくことが大切。学歴が無いならば、無いなりの生き方を、お金が無いならば、無いなりの生き方をしないといけないと思っています」
昼食の後少しだけ休むという話を聞いて、逆にこれまでは、どれほど休まず働き詰めだったのだろうと想像した。それは、正に鬼のような集中力だったに違いない。
「人生はこれから。私は”まだ80歳”」
癌を患い、5つの臓器を摘出してもなお、自身の状況を冷静に受け止め、常に前を向いて戦い続ける安藤さん。しかし膵臓癌を患った際は、さすがに覚悟を決めたという。
「’08年に膵臓に癌があると告知されました。膵臓の癌は厳しいというイメージがあって、お医者さんに聞きました。『膵臓を全摘しても生きていけますか? 』と。そうしたら『今まで、膵臓を全摘しても生きてる人はいますが、元気になった人はいませんなぁ』と言われました。でも、覚悟して手術に行こうと決めました。お医者さんに言われましたよ『安藤さん、(手術しても)起きなかったらごめんね』と。まぁそうだよな、と冷静に話を聞くことができました」
病気も現実もすべてを受け入れる。どんな状況にも、その場面に合った働き方や方法を即座に考えて、柔軟に対応していく。そんな安藤さんにとって、”老い”とは何かを聞いてみた。
「人生はこれから。私はまだ80歳、これからですよ。これから先の人生を生き抜くためには、準備をしなくてはいけない。体力も必要ですし、知的体力も、経済力も必要になります。それらを持っていないといけないと思います」
こちらの質問に、人生はこれから、と1秒も置くことなく答える安藤さんの顔を見て、「やれ腰が痛いとか、体力が落ちたなどとボヤく日頃の自分を心底恥じた」という舘野。
常にポジティブに生きる安藤さんに、人生に必要なことを聞くと、とてもシンプルな答えが返ってきた。
「楽しんで生活しないと。楽しむってことは、面白いものを探さないといけません。探すには努力が必要。やっぱり忍耐力が要ると思うんですよ。
生きるのが精一杯と思うことも多いと思いますが、80歳はこれからだと私は思っています。
私は、生涯、青いリンゴのように生きないかんと思っています。子どもの頃に思い描いていたように、人生を走り続けたら、必ずいいものに出合うと思うんです」
現代に生きる傑物のONとOFFを探る、「2Face」。安藤忠雄のプライベートの顔は、”楽しく生きる”がキーワード。病気など、誰にも降りかかる難題に、その時の状況を常に冷静に受け止め、柔軟に、しかしある覚悟を持って対応をしているようにみえた。
今回、インタビューを行った大阪市の「こども本の森 中之島」には、大きな青リンゴのオブジェが飾られている。安藤さんにとって、人生は、この青リンゴそのものなのだ。数々の名だたる賞を獲り、その名を世界中の人々が称賛しようとも、安藤さんは自身のことを青リンゴだと思い続けている。安藤忠雄が走り続ける理由はそこにあった。
Tadao Ando
1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、’69年に安藤忠雄建築研究所を設立。世界的建築家に。現在、世界中で進行中のプロジェクトは50を超える。プリツカー賞、文化勲章をはじめ受賞歴多数。
Haruhiko Tateno
1961年東京都生まれ。’93年、創立メンバーの一人として幻冬舎を立ち上げて以来、各界の著名人たちの多彩な作品を世に出し続ける。2006年に「GOETHE」を創刊し、初代編集長も務めた。
■短期集中連載「安藤忠雄が走る理由」はこちら
第1回/第2回/第3回/第4回/第5回
■動画連載「2Face」とは……
各界の最高峰で戦う仕事人たち。愛する仕事に熱狂する姿、普段聞けないプライベートな一面。そんなONとOFFふたつの顔を探ると見えてくる、真の豊かな人生に迫る。