菅茶山の足跡を訪ねて(2)松風館跡
神辺町西中条の山田谷に、河相君推という酒造業を営む豪農がいました。多くの書画類を蒐集し、和歌に巧みな風流人で、茶山と交流がありました。
屋敷地には、母屋、酒造場のほか数寄を凝らした客殿「松風館」が建っていました。
池や丘を設けた松風館の邸内では、十ヵ所の景勝(十勝)を定め、名士にそれぞれ命名、揮毫してもらったものを石などに刻んで掲げていました。命名者は、茶山、菅恥庵(茶山の弟・儒者)、頼杏坪(広島藩儒者)、柴野栗山(阿波藩儒者・昌平学教授)のほか九州や江戸の儒者たち十人で、茶山の交友の広さを物語っています。
茶山が松風館での詩会で、即興で詠んだ詩があります。
「松風館即時」
詩罷松窓夜幾更
捲簾閑待柿歸鳴
隣燈有影樟陰黒
林雨將収竹氣清
【要約】詩宴も終わり松の枝が差しかかる窓から外を眺めれば、夜もたいそう更けてきた。簾を巻きあげてホトトギスが鳴くかと静かに待っている。隣の家の灯りでクスの木の陰は濃く、林を濡らした雨も間もなくやみそうで、竹藪には清々しい気配がただよっている。
夜の山田谷の風景を彷彿とさせ、茶山のすぐれた自然観察力と美意識を感じます。
当時の十勝碑は分散したようですが、新たに十勝碑や詩碑などが建立され、松風館十勝碑林と命名されています。
<松風館十勝碑林>
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