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【JA】【農業復興元年】新自由主義の裏に構造的暴力 新農業システム構築に日本は使命感を 京都大学准教授 藤原辰史氏/2023年1月6日

【JA】

2023年1月6日

コロナ禍やウクライナ問題などでエネルギーや食料安保論が関心を集めている。そこで農業史と環境史、食と農の歴史や思想などに詳しい京都大学人文科学研究所准教授の藤原辰史氏に「平和戦略としての食料自給」をテーマに寄稿してもらった。同氏は「食をめぐる国際協調の議論には必ず構造的暴力の問題が含まれなければならない。そこからようやく自給自足について語り始められる」とする。

自由貿易がもたらした貧困者のさらなる貧困

京都大学准教授 藤原辰史氏

京都大学准教授 藤原辰史氏

第2次世界大戦が終わりを迎えてから3年経った1948年に、G A T T(関税および貿易に関する一般協定)が発効した。関税率をできるだけ低位に保ち、自由貿易によって世界経済の再建を目指した理由は、第2次世界大戦の深刻な反省からだった。というのも、第2次世界大戦勃発の大きな原因の一つであった1929年10月の世界恐慌によって、各国が自由貿易から帝国内保護貿易に向かったことだったからである。G A T Tの精神は、それが1995年にW T O(世界貿易機関)へと発展したあとも残っている。戦後、意識的にせよ無意識的にせよ、自由貿易は平和の象徴でありつづけた、ということはもっと意識されるべきだと思う。

国際貿易が縮小すると国家関係が脆弱(ぜいじゃく)になる。とりわけ世界恐慌から脱するために協力を強いることができる植民地を持たない国家、たとえば、ドイツ、イタリア、日本は国際社会で孤立し、軍需産業を活発化して国民経済を活性化したり、武力を用いて強引に権益を外国に確保しようしたり、危険な賭けに出たことは歴史が明らかにしているとおりである。それゆえに、食料に関税をかけることもまた、国家間の貿易の壁を高くすることにつながるので、できるかぎり避けられることが望まれた。

さて、ここからが問題である。では、結局G A T TからW T Oに引き継がれた自由貿易の精神は地球の安寧をもたらしただろうか。各国間の依存度を高め、お互いに攻撃的になることを防げただろうか。たしかに、自由貿易を標榜する国家同士の戦争はほとんど起こることはなかった。1980年代に日米貿易摩擦がどれほど激しくなっても、戦争にエスカレートはしなかった。ところが、自由貿易を推進する側と社会主義国やどちらにもくみしない諸国とのあいだではすさまじい暴力が吹き荒れた。朝鮮戦争や中東戦争、ベトナム戦争など、冷戦下の熱戦は多くの犠牲をもたらした。そればかりではない。米国の秘密警察によるインドネシアやチリの共産主義者や社会主義者の弾圧(インドネシアの事例は「ジャカルタ・メソッド」とも呼ばれた)、ソ連によるアフガニスタン侵攻、米国によるイラクやアフガニスタンへの攻撃など、強力な国家が別の国家を攻撃し占領した。

また、2000年から20年間は新自由主義が猛威をふるい、次々と「障壁」が削られ、自由貿易や金融緩和が各国に押しつけられた結果、各国の貧困者はさらに貧困に陥り、コロナ禍には医療の効率化が進んだ国家や地域にかぎって、感染者対応が遅れた。感染症はもうからない病気だとみなされたからである。

では、食料はどうなったのか。貿易自由化の結果、何が起こったのか、ということもやはり繰り返し問われなければならない。

中小国の農民たちが歩むいばらの道

米国のジャーナリスト、ラジ・パテルが執筆した『肥満と飢餓』(作品社)が明らかにしているように、自由化によって、欧米諸国のような高度な農業技術(高性能品種、化学肥料、農薬、農業機械)を有する国だけが、品種改良を中心とする「緑の革命」やそれに類する事業を通じて農業生産を合理的に行い、農作物を高価な肥料や機械と一緒に別の国へ売ることができるようになった。他方、自由化によって国家の保護を失ったり、先進国の高い技術を買わされて借金に苦しんだりするなか、中小国の農民たちは農業を離れたり、残ったとしても採算が合わないいばらの道を歩き始める。

インドでも韓国でも、彼らは抗議を続けた。インドの農民の、モディ政権の新自由主義的農政に対する抗議のデモはコロナ禍で繰り返し放映された。だが、ほとんどの国で、農民たちの声はまともに取り上げられることはなかった。平和のため、というけれど、自由貿易は全世界の農民たちが食料を自給する権利を弱めた。

グローバル経済は、各国に農業の合理化を求めたが、それは別の種類の生存の危機をとりわけ資金を持たない農民たちにもたらしたのであった。プランテーションでは過酷で低賃金な農業労働を人びとに強いた。いまだに4000万人の「現代奴隷modern slavery」が世界に存在しているが、そのうちの農業に関わる現代奴隷の数は多い。そのまた、グローバル経済に馴染まない人びとは、国家の財政支出の緊縮によって生活苦を強いられた。これは平和とは言わない。構造的暴力、つまり、一つの暴力の形態にほかならない。構造的暴力は温存しておいて、直接的暴力を非難するのは偽善ではないだろうか。

日本こそ小規模農業システム構築の使命を

そろそろ、自由貿易が世界平和と等式で結ばれるという単純すぎる図式を捨て去るべきだと考える。もちろん、世界の国々のあいだで自由に人やものが行き交いすることは保たれるべきだ。自由貿易批判と鎖国を同一視する愚は避けたい。江戸時代の鎖国政策を讃美する言説がいまなお少なくないが、それは他国の人間への敵視や無関心を増大させるだけだ。

だが、一国の軍事力・経済力や一企業の資金力でその「自由な行き交い」を強引に自国や自社の利益に誘導することが「自由貿易」の名の下で許されているのであれば、それは「自由」に値しないではないか。ましてや「平和」とは真反対の方向に進む「貿易」である。

自由貿易は公正貿易でなければならない。カネとモノの交換の中で、ある特定の人間にだけ負荷がかかる貿易は自由であっても不公平である。巨大な一極集中的な農業技術システムに頼ることが、誰か遠くの国の人を傷つけ、自国の農民のふところを痛め続けるのであれば、もう少し小さな農業技術システムに頼ることで、その罪悪から免れる方法もある。

自国の人々をやがて出現するかもしれない飢餓から救う、膨大な化石燃料を使い、病原菌の汚染可能性が増える長距離食料輸送をやめる、ということ以外に、食料自給率の問題が切実な問いとして出現するのは、実はここからである。他国と友好とは言わないまでもせめて激昂せずに落としどころを激論の末に見つけられる程度の関係を築き、世界を自由に人間が往来できて、訪問が歓迎されることが前提の上で、他国の経済的・政治的に弱い立場にある人を攻撃しないような小規模農業システムを築き、普及させていく使命が、大規模農業に限界のある日本にこそあるのではないだろうか。

それは、農業大国が他国の胃袋をつかんで、食料を輸出しないという外交カードを切るという不健全な国際関係を防ぐばかりか、巨大なフードシステムに依存して経済発展途上国の貧農を切り捨てつつ、利益を蓄える少数のアグリビジネスにも対抗できるのではないか。

国際的な使命感なき自給率向上の議論は避けよ

私は、食料安全保障の問題に、以上のような国際協調の問題や戦争回避の問題があまり含まれてこなかったことを憂うる。自国さえよければよいという考えが自給自足率向上運動にあるとすれば、それは国際社会に日本の倫理の低さを宣伝することになり、ただでさえ女性差別や言論の自由において国際社会の批判が厳しい日本はさらなる損失を被る。国際的な使命感のなき食料自給率の上昇の議論は、単に、他国との利害関心の衝突と調整というゲームに終わり、食と暴力をめぐる議論が遠のいてしまう。

食をめぐる国際協調の議論には必ず構造的暴力の問題が含まれなければならない。そこからようやく、自給自足について語り始められるのである。食料に関わる人々は、もっと平和を語らなければならない。


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