2015年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの神様』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

世の中の現象は、すべて「空」

般若心経(仏教の基本聖典で大乗仏典のひとつ。玄奘三蔵の訳では262文字)の中に、「色即是空」(しきそくぜくう)という言葉があります。

「色」とは、形あるもの、目に見えるもの、手につかめるもの、といった意味です。

狭い意味では「肉体」を指し、色欲、色情という意味にもとられていますが、もともとは、「物体であること」を意味しています。

「空」とは、何も存在しないこと、実体のないこと、うつろなことの意味です。

すなわち「色即是空」とは……、

「形あるもの、目に見えるもの、命あるものは必ず滅する。常なるものはなく、無常である。常に同じものはない。形あるものはない」

とする解釈が主流です。

ですが私は、「お釈迦さまは、もう少し違うことを伝えたかったのではないか?」と思っています。

「色」とは、「幸、不幸」「軽い、重い」「大きい、小さい」といった評価や論評を加えた状態のことをいうのではないか。

そして、「空」とは、評価も、論評も、性格付けもされていない中立の状態をいうのではないか……。

私たちが「楽しい」とか「つまらない」と評価している現象は、実体として独自に存在するわけではありません。淡々とした「何の色もついていない空の現象」が続いているだけです。

お釈迦さまは、

「現象はもともとニュートラルであり、ゼロであり、色がついていない。それなのに、私たちの心が、『遠い、近い』『重い、軽い』『つらい、楽しい』『悲しい、嬉しい』といった色をつけているにすぎない」

ということを言いたかったのではないでしょうか。

「200ccのコップに、100ccの水が入っている」状態は「空」です。

100ccの水を「半分しかない、悲しい」と思うことも、「半分もある、嬉しい」と思うことも、ひとつの「色」であると、お釈迦さまは唱えているように思います。

弘法大師は、その名を「空海」といいました。この名前が、

「すべての現象が空(性格付けがされていないニュートラルなもの)であり、私たちの世界は『空の海』である」

ことを示していたのだとしたら、本当にすごい名前だったことになります。

すべてが「空」の世界で、評価論評をしているのは、「私」です。色のついていない現象を指して、「これは気に入った、これは気に入らない」と解釈する自分がいるだけです。

ということは、「空」である現象を「嬉しい、楽しい、幸せ」ととらえれば、過去のことも、今日以降のことも、すべて幸せに感じるのではないでしょうか。