【asahi】
2023年11月26日
プロ野球・広島東洋カープの元投手で新人王に輝くなど活躍した川端順さん(63)が今春、故郷の徳島県松茂町議に転身した。新顔ながらトップ当選を果たし、投手としてプレーした「1球の重さ」は議員の「1票の重さ」へ。町の発展に取り組む思いを聞いた。(能登智彦)
――周囲を驚かせた転身から約7カ月。今の感想を
どうすれば町を活性化できるのか、不足な点は何なのかを常に考えながら、駆け回っています。議員は厳しく大変な仕事だと実感しています。スケジュールは調整できるので、単に「忙しい」のとは違います。やろうと思えば多くのことをできるのが議員活動です。
4年間の任期で一定の結果を求められます。選挙で「スポーツによる地域の活性化」などを訴えました。「川端は何をやり、町をよくしてくれたのか」と4年後、具体的に問われます。町民と約束をしたと考えればプロ野球の契約と同じ。故郷から約40年間離れていました。政治経験のない新顔がトップ当選できたのは「期待値」が入っているのでしょう。4年後にがっかりさせたくはありません。
――具体的な活性化策は
野球に軸足を置いてスポーツ振興を進め、町づくり全体につなげていきたい。スポーツは感動を与えてくれます。スポーツで丈夫な体をつくり、心も体も健康な中で町づくりが進めば、人材流出を抑え、新たな人を迎えることもできるのではと考えています。
帰郷後の2018年から、スポーツクラブなどを運営する岡田企画(徳島市)で働いています。19~22年には町総合体育館の館長を務めました。県教委の依頼を受けて中学、高校の野球指導員も続けています。今年から松茂中野球部の総監督になりました。個々や集団の競技力向上だけでなく、培った人脈をフルに生かし、交流人口増加や企業誘致なども進めたい。
――なぜUターンを
野球人生を始めた故郷は私の原点なので、いずれ徳島で仕事をしたいとは考えていました。カープ退職後、岡田企画からスポーツ事業への参加を誘われ、私の思い描く方向と一致しました。Uターン後に巨人から編成業務への誘いがあるなどしましたが断りました。周囲から「もったいないのでは?」と言われましたが……。
町議選への出馬は昨年決めました。中学、高校の同級生らの提案でした。町民や子どもらと接していて、スポーツ振興の思いがさらに膨らんでいたのです。当選後、カープファンからも激励の声が届き「支え」の大切さを感じています。
――現役時代を知るファンの中には「バタボール」の記憶もあります
握りをずらして右に、左に落とすパームボールのことです。まるで魔球のようにメディアで名付けられました。振り返れば、わかりやすく巧みなネーミング。町づくりでも企画や実行に全力投球しますが、ネーミングなど細部にもこだわって、発信力の強化を図っていきたいです。(能登智彦)
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かわばた・じゅん 1960年、徳島県松茂町出身。鳴門高校、法政大学、東芝を経て、83年のドラフト1位で広島に入団。85年に新人王、87年にセ・リーグ勝率1位に輝く。92年に現役引退。310試合に登板し、通算46勝26敗19セーブ、防御率3・00。引退後は投手コーチを13年間務めて球団フロント入り。編成グループ長として球団を支えた。